暁に鳴く雲雀
(俳句は写生が基本であり評価する方が力量が試される)
暁に雲雀鳴きそむ一羽二羽
暁に月光冴えて春寒し
暁に残月光り津浪後残る社や春寒しかも
「暁(あかつき)」というのは夜なのか朝なのか。これを
「明け方の頃」と理解して「朝」と思っている人がかなりいる
が、正しくは「夜」の範疇に入るものである。
「明け方の頃」と理解して「朝」と思っている人がかなりいる
が、正しくは「夜」の範疇に入るものである。
暁と曙はまぎらわしい、暁のあとに曙がくる。
暁はまだ夜である。
今日は暁のときだった。今日は結構寒く春という感じがしなかった。
「春は曙・・」があるがそんな感じではなかった。
実際にまだ暗かった。それでもすでに雲雀が鳴いていたのである。
ずいぶん早く鳴くものだと思った。
二三羽鳴いていた。
俳句は写生が基本である。なぜ俳句がつまらないものが多いのか。
やはり写生に徹しないからだろ。
何か意味ありそうな深いものを現しているようでも俳句では俳句にならない
そういう意味ありそうな俳句がまた多いのである
だからそれがなにかいいように思えるのである。
要するに俳句は単純に写生に徹した方が深い趣が出る日本的芸術なのである。
暁に雲雀が鳴いている、一羽、二羽、三羽と鳴いているとなる
それは明らかに写生なのである。
ここで例にだした俳句も写生ではないから鑑賞にたえないのである。
俳句の評価はむずかしいが写生を基本にすれば評価しやすいとなる
つまり俳句は作るより評価する方がむずかしい芸術なのである。
誰でも作れるから評価する方が深く読む力のある人が優れているとまでなる芸術なのである。
暁(あかつき)の 紺朝顔や 星一つ
高浜虚子
これは写生だからいいのかも、朝顔が咲いていて星が暁に一つ輝いていた。
説明もないし写生だから評価できる。
虚子も写生でないのが多いのである。
でもが暁に紺朝顔が開いていたのか、まだ開かない朝顔だったのか?
普通は開いた朝顔をイメージする、でも写生になれば開いていないかはもしれない
そこまで読む必要がでてくるのが俳句なのである。
朝顔は光がささないとやはり開かない・・・とすると厳密には写生ではないことになる
でも開かなくてもそれが紺朝顔として認識されていたことは確かである
これから開く紺朝顔として・・・
これは写生だからいいのかも、朝顔が咲いていて星が暁に一つ輝いていた。
説明もないし写生だから評価できる。
虚子も写生でないのが多いのである。
でもが暁に紺朝顔が開いていたのか、まだ開かない朝顔だったのか?
普通は開いた朝顔をイメージする、でも写生になれば開いていないかはもしれない
そこまで読む必要がでてくるのが俳句なのである。
朝顔は光がささないとやはり開かない・・・とすると厳密には写生ではないことになる
でも開かなくてもそれが紺朝顔として認識されていたことは確かである
これから開く紺朝顔として・・・
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