春霞
(相馬市の城跡から鹿島原町をめぐりて俳句十句)
中村神社
(相馬市)
城跡に黄色の蝶や舞いそめぬ
街道の道の狭さや梅におふ
夕鶯街道歩む二人かな
街道の細道変わらず梅と松
芽吹く樹を見上げて高く鳥の飛ぶ
(原町へ)
春霞原町広し国見山
阿武隈の山脈なだらか春霞
碑の一つ草に埋もれて落椿
江戸時代捨てらる墓や落椿
泉村たずねてあわれ落椿
紛々と夕陽に映えて梅ににおふ
晩年や梅の香満ちて里巡る
たちまちに燕の増えて鳴き騒ぐ
捨てられし夫婦の墓やなおともにあらむとここに春の日暮れぬ
日々暮らし我が墓ありぬその側の公園に散る椿見るかな
泉村十一面観音の捨てられた江戸時代の墓
ここには文久と記されていた
江戸時代の夫婦の墓
北泉で津波から残った家
万作が咲いていた
国見山が霞んで見える
クリック拡大するとはっきり見えます
昨日今日と天気がいいので相馬市の城跡と昨日は原町の方へ行った。
相馬の城跡では相馬市の青年が何か城を取材して話した。
それはyoutubeに出すとか言っていた。
そきことはあとで書いてみる。
いつものように城跡から街道をゆくと梅林がありにおっている。
昔の街道は細いから人が歩くとより自然を感じる
そもそも今は人間が歩くことが絵になっている不思議である。
車しか通らないから歩くということが昔にもどることなのである。
旅であれ歩くことがない、だから歩く旅というものもなくなった。
歩く視点で見れないのである。自分は自転車だからまた歩くのとも違うのである。
昔の街道は細いから人が歩くとより自然を感じる
そもそも今は人間が歩くことが絵になっている不思議である。
車しか通らないから歩くということが昔にもどることなのである。
旅であれ歩くことがない、だから歩く旅というものもなくなった。
歩く視点で見れないのである。自分は自転車だからまた歩くのとも違うのである。
原町に金沢を回って行った。泉村の十一面観音という所に行った。あそこも今回はじめて行った。あそこは看板があるから普通なら行っているはずだが行っていなかった。
そのことを若い人にも言ったけど本当に近くを知らないのか人間なのである。
最近すぐ近くの神社で天明の碑を見つけた。
こんなところにあったのかと驚いた。
なぜなら天明ということは天明の飢饉の時だから自分の住んでいる場所が関係しているのかと思ったからである。
60過ぎてから地元のことを知るのは遅い、でも最近知ったことも多いのである。
それだけ人間は近くのことでも知らないのである。
知ろうとしないということもある。関心をもたなかったら知ろうともしないだろう。
そして外国のことを情報社会だから気にして外国の方が詳しくなっている人がいるのが現代なのである。
そのことを若い人にも言ったけど本当に近くを知らないのか人間なのである。
最近すぐ近くの神社で天明の碑を見つけた。
こんなところにあったのかと驚いた。
なぜなら天明ということは天明の飢饉の時だから自分の住んでいる場所が関係しているのかと思ったからである。
60過ぎてから地元のことを知るのは遅い、でも最近知ったことも多いのである。
それだけ人間は近くのことでも知らないのである。
知ろうとしないということもある。関心をもたなかったら知ろうともしないだろう。
そして外国のことを情報社会だから気にして外国の方が詳しくなっている人がいるのが現代なのである。
原町に鹿島から出ると広く感じる。原町は確かに野馬土手あり馬を放牧していたから広いのである。広大な原っぱが原町だったのである。
春霞であり国見山が見える、あれは結構高い山だろう。あそこに国見山と名付けたのはやはり国見する山ということで名付けたのだろう。
小高と原町が中心に見えて鹿島が見えるが相馬市までは見えないというのもそきためなのか?つまり南相馬市を一望できるところが国見山なのである。
阿武隈山脈は山というよりなだらかな高原という感じである。
そこに昨日も今日も霞がかかっているから何かのどかである。
何か同じ場所でも季節で年によって見え方が違うのが不思議である。
たいがい同じ景色を見ているとあきるのである。
そして何ら自分の住んでる場所に故郷にも魅力を感じないのである。
富士山でもあればちがっているが山に関してこの辺は魅力ないのである。
それでも同じ場所でも今日は原町が広く見えたのである。
自分はここ七年間介護とか自分の病気とかで遠くに出ていない、だからいつも近辺を回るだけである。
でも今は一番いい季節である。梅はいたるところにありにおっている。
人間は晩年でも長く住み慣れた所がいいと思うとき幸せな気分になる。
だから前も書いたけど今回の津浪や原発事後では故郷に住めなくなったことが一番の悲劇だった。老人にとっては過酷だった。
若い人にはそうでもない、若いときは何かかえって都会でもいいし刺激のあるところがいいとなる。
ただ年取ると落ち着く場所がいいのである。
故郷が別にいい場所ではない、でも自然がありなごみがそこに生れる。
もう人間はもしかしたら田舎でもどこでも素朴だとかなくなった。
そういう社会になってしまったからである。
だから補償金とか金でももめて故郷でもばらばらになっていたしもともと一体感もなくなっていたということがあるのだ。
家族までばらばらになるというときそもそも家族すら一体感がなくなっていたということもあったのである。
自分の墓の側に公園がありそこに椿か散っていた。日々の暮らしの中でそうした自然の変化があり心にしみる。
だから毎日自分の家の墓の前を通っているから先祖をまだ死んだばかりの親でも意識するのである。
ところが墓が遠くになると意識しなくなる。彼岸とかに墓参りしても墓はその暮らしている場所と分離している。
そこに墓の意味が見いだせないのである。
墓地でも暮らしの中にあれば先祖でも意識するのである。
いづれにしろ避難区域ではそうして暮らしが破壊されたから墓もどうしていいかわからないとかなる。
若い人がも住まないとなるとそうなる
まずソーラーパネルで野菜栽培しているという風景も不思議である
普通俳句だと耕しといえば春の季語である。
そういうものもない、野菜工場である。何かそれも変わっている未来の姿である。
農業は実際は肥料だとか農薬だとか手間もかかるし採算があわないのである。
工場にしたらかえって楽なのかとも思うが実際はわからない。
ただ風景としては耕しという人間が大地を耕している風景が春らしいとなるのだ
ともかくこの辺の混乱状態はまだまだつづく
燕も一気に増えてなき騒いでいた、まさに春本番になる。
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