桜は咲けど・・・
(仮設暮らしが四年過ぎても先が見えない)
仮設住み鹿島になじむ夕桜
満開に桜は咲けど雨しとと仮設に住みつ四年過ぎぬ
桜も咲いたけどなんか雨の桜になっていてしめっぽい。桜のことを短歌にしたりしたけど毎年違って見える。
自分の一身上で回りでも波瀾つづきでありだから桜の見方も違っていた。
俳句は写生だけど短歌はその時々の感情的なものが入る。
悲しい、淋しい、うれしいとか感情的なものが表現される。
この辺は仮設でもすでに4年は過ぎてしまった。それも長いと思った。
だからそれぞれの土地になじむようになった人もいるかもしれない。
ただ仮設だとあくまでも仮りの暮らしだからその土地に土着するのとは違うから
なじむといっても以前として一時的なものである。
現代は土着的といっても農業とか漁業で暮らしている人は全体の一割にもみたない。
だから今回のような津浪原発事故でどうなったかというと会社中心に生活していたことが明確になる。
象徴的なのは小高の人で名取に息子が家を建てその家に親の部屋まで作った、そして会社が原町にあり常磐高速道路で通っている。
このことが原発事故や津浪で起きたことを象徴していた。
家族が分離してしまい職場も分離してしまった。
鹿島から二本松に会社が移り通っていた人もいた。
その人は二本松の方に移ったのかもしれない。
会社と共にあり会社中心社会だからそうなっている。
補償金にしても個々人で個々の家族でなるべく多くもらってそれをどうするのかとなると
もう自分の故郷には帰らない、このさい、その補償金を元にして他に移り新生活をした方がいいと働く
若い人は特にそなっている。
つまり多額の補償金は皮肉なことに復興にはならない方に働いているのである。
十津川部落などでは部落ごと北海道に移住したがそれはみんなその時農業で生計をたてていたからである。
だから北海道で開墾してみんなで農業をはじめたのである。
会社中心社会ならそういうことができないのである。
現代は土着的社会ではない、会社はどこにあってもいいという場合がある
確かに以前としてその土地でなければ利便性が欠けるとか立地性はある。
この辺はまだ東京に近いから部品を運ぶのでも立地性はある
いづれにしろ本当に満開に咲く花の日はこの辺はずっと先にになってしまっただろう。
もしかしたら市町村自体消滅しているとか少子高齢化でも言われるからなんか
満開の桜でも雨がしとしとで陰気に降っている感覚が反映される
やはり今の状態の気分が反映され自然に投影されるのである。
そうはいっても何とかしなければならないということはある。
その先が見えないのは会社中心社会であり農業が主体の土着的一体感が喪失していた社会からかもしれない、今は何か一人一人とそれぞれの家族がどうしようとしてもできない
みんなで何かをやろう一致してやろうという共同性が望まれる
その共同性は会社にはあっても他にはあるのかということもある
でも小高でもそうだが何か共同して一致してやろうとしないと町自体がなくなってしまうだろう。
ただどうして共同して一致してやるのかとなるとそれがあまりにもむずかしいのである。だからだらだらしていると分離分散してしまうことは確かである。
タグ:仮設暮らし
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