2015年06月02日

田んぼが増えて蛙も増えた



田んぼが増えて蛙も増えて復興を感じた


ヨシキリや田に人ありや暮らしかな
ヨシキリや今日も働く人のあり
久々に夏の星写る夜の田に
復興や蛙鳴きあふ夜の田に
復興や田ごとに映る月円し

田んぼは五分の一に増えた、やはり田んぼが増えると蛙が確実に増えた
田んぼに蛙が鳴き合うのを聞いたのは四年ぶりだった。
これも明らかに復興だった。
田んぼは山間の狭い場所の田んぼは原野になり放置している
もうあういうふうに狭い所はめんどうだからやらないかもしれない
昔だったらそういう狭い場所も田んぼを作っていたのである。
それが狭い国土の日本だった。
原発事故以後は田畑をやる人はへる、手間かけても金にならないしめんどうになるからだすると田んぼも集約的にできるかもしれない
小さく分けられた田んぼは放置されて原野か他のものに変わるかもしれない
米は安いし小さな田んぼをもっていてもめんどうだからやらない

自分の生活はこの七年間に起こったことを延々と書いてきた。
絶えず介護から家事からプログを書くことでも追われてきたのである。
前は三食用意されていたし確かに買い物と風呂くらいはしていた。
他は何もしていないから常に時間が余っていたのである。
今は時間に追われている

ともかく田んぼがなくなるということはイメージすらできなかった。
もちろん津波でもなくなることがイメージすらできなかった。
故郷を離れて仮設で暮らすなどイメージできなかったとか
この辺で起きたことは本当に全くイメージすらできないことが連続して起きたのである。だから田んぼとは何なのだとか故郷は何なのだとか考えるようになったのも
そんなこと誰も考えない、あって当たり前だったからである。
田んぼは田舎の風景であり田んぼがない田舎が考えられなかった。
それは千年とかの単位で田んぼとともに暮らしてきたからである。
蛙が鳴くというのもそうである。
田んぼは自然の生態系の中に組み入れられていて田んぼの水には蛙でも水すましでも何か自然の命が生息できて鷺などもやってくる
原野だとネズミが増えてノスリが増えたのである。
原野化すると雉なども増えていつでも人を恐れずでてきていた。
雉などにも住みいいのだろう。

ヨシキリが鳴いていたというとき田んぼの脇にヨシキリが鳴くのはまだ原野が多いからそうなる
普通ヨシキリは川で鳴いていたのである。
そして今日は満月が光っていた。
これも何か復興を感じた
この辺は4年過ぎて復興しているのだろう。
ただ除染はまだまだつづく
それで外部から来ている人が5000人いるとかも言われる
これは当分つづくのである。
それでにぎわっているように外部から来た人は感じるけど
その人たちが帰ったら火の消えたように淋しくなっているかもしれない
仮設でもいろいろ文句言っていたが鹿島などは小高の人が帰ると相当に淋しくなってしまうだろう。
だから何かこの際小高に帰らせるより老人なんか集めて暮らせるような政策が必要かもしれない
高齢化社会にどう対処するかということで仮設が意外と隣り合って老人が暮らすのには向いていたのである。
小高でも広いからまたばらばらに暮らすというのがかなり困難になっているからである。
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ケロケロケロロ
田んぼがふえた
田んぼがふえた
みんな帰ろよ
帰って来いや
ケロケロケロロ
仲間がもどってきて
みんなで鳴いてうれしいな
田んぼが増えた
みんな帰ってこいよ
ケロケロケロロ

やっぱり蛙の声というのもなじんできたものだから聞けないとういことは異常だった
鷺も見掛けなかった、それが4年もつづいたのである。
自然は意外と復興するものなのか?
田んぼが増えて水があるとたちまち蛙も増えてくる
ただ警戒区域で帰れないところは野生の自然にもどっている
何でも青大将とかのヘビが捨てられた猫を食っているというから不気味である。
チェルノブエリでも狼が増えたきたのだからそういうのとにている
人が住まないと自然にもどるといっても何かそこは不気味なものにもなる
ネズミなどもチェルノブエリでは増えたし放射能の影響もなかったのである。
避難区域ではどうなってしまうのかわからない
時間がたつにつれて元の状態に戻すことはますますむずかしくなるからだ。



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