2015年07月29日

城の美学(建築は精神の具現化したもの)


 

城の美学(建築は精神の具現化したもの)

a Japanese castle is an embodied spirit

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建築はまず原材料に規定される。料理でも材料が良くなければいくら料理人が優れていてもいいものは作れない。
この辺でとれた石鰈は松川浦でとれたものを売りにきていたとき、新鮮だからとにかくうまい、魚は鮮度が勝負である。
家でもいい材料を使えばいい家が自ずとできる。
青森ヒバの家とか総檜作りとかなったら今は最高の贅沢である。
もうそういう家は大金持ちしか建てられないだろう。
建売住宅は見栄えはいいが中身はいい材料を使っていない。
だから住んでみると確かに機能的には昔の家より優れている
昔の家は大きな座敷があり襖で区切られているだけで今風に個人の部屋がない
子供部屋もないとか個人主義となった現代の生活には合わなくなった。

建築がまず材料だというときヨーロッパは重厚な石を素材にしている、彫刻でも大理石を使っているし他もエジプトのピラミッドからして石である。
石は千年とか軽く残るから歴史が石を通じてヨーロッパに残っていてローマでも二千年の歴史が石となって残っているからそれだけの年月の感覚が自ずと養われる
日本ではもう百年も残る家となるとまれである。
今は30年で古くなり建て替えるとなると歴史感覚が養えないのである。
日本文化は生(き)の文化だというとき木は石のような恒久性がない

式年遷宮(しきねんせんぐう)とは継承し、繰り返されることの永遠。
伊勢神宮には常に新しくありつづける、常若の思想があります。
平成25年に行われる式年遷宮とは、20年に一度行われる壮大で重要なお祭りです。神宮の建物を新しく建て直すとともに場所を遷し、さらに殿内の宝物もすべて新調します
http://ise.jr-central.co.jp/shikinensenguu/

枕詞のあらたまも年にかかるから常に年ごとにあらたまるというのが日本の文化である。それは日本の文化であり悪いというわけではないが常にあらたまりばかりでは継続する歴史が感じられない、何かいいものが必ず時代時代で作られているのが人間である。
その継続の歴史がたたれることは深刻なのである。
日本で明治時代が文化的に興隆したのは和魂洋才で和魂が江戸時代の継続で継承されていたから洋才もそこで日本文化として受容されたのである。
内村鑑三の「武士道」とキリスト教が結びついたのもそのためである。

建築の基本要素は材料であり機能性があり装飾性がある。機能性というとき戦国時代はいかに防御するかということに苦心した。
それが城作りの要点でもある。日本の城は外国と比べてシンプルである。質素であり構造も複雑ではない、外国の城はまずwallであり敵に進入を防ぐために壁でとりかこむことからはじまっている。城本体より壁の方に重点がおかれていたのである。
日本の城には装飾性はない、機能美が主体であり簡潔であり無駄がない、だからかえってそれは江戸時代であれ質素であり武士の精神を象徴するものとなった。
つまり建築は embodied spiritなのである。大坂城にはそれがみられないというときはなぜなのか?

心に青雲」が大坂城に幻滅した原因は何なのか?

天守閣は壊して、石垣や掘りなどの往時の遺物だけ残した公園にしたらよいと思う。大阪の人は「太閤はん」が誇りらしいが、だったらなおのこと、その誇りを大事にして、どうせレプリカなのだからあのラブホみたいな天守閣を破棄すべきではないか。


確かに大坂城をバックにして写真をとらせる人がいたりと大坂城は何か観光用のようにも見える。それに反して石垣は幾重にもあり広いから当時を偲べる
日本の城は石垣はたいがい昔のままに残っている、だから日本では石垣から昔を偲ぶ
会津の城でも新しく再建されたから何か博物館のように見える。
つまり歴史的な建造物でも自然の石や樹と同じように風雪を帯びると貫祿が生まれる
熊本城などは明治維新で陥落しなかったとか鉄砲の玉の跡が残っているとかそういうものがあり魅力がある。
会津の城でも薩摩長州軍に攻撃されて辛うじて残っている城の写真があったがあの写真にその凄まじい傷跡が生々しく残っていたのである。
かえって石垣だけしか残らないとなると世の無常を感じるのである。
真新しく再建されると何か撮影のセットのようにも見える、それが大坂城であり他にもそういう観光用に再建されたものには見える。
あれは徳川幕府が建てたもので秀吉が建てたものではない、秀吉が本拠としていたのは京都の伏見城でありそこに伊達政宗と山形の最上氏が並んで屋敷をもっていたのである

自分は大坂城のとき桜が咲いて散っていた。それが夕日に映えて散っていたのを印象的だった。
まさに秀吉の豪華な安土桃山時代の再現を感じた。でも大坂城は秀吉の城ではない、秀吉は京都の伏見城が本拠でありそこに徳川幕府のように全国の大名の屋敷を構えさせた。東北では伊達と最上が並んで屋敷を持っていたのである。
城でも大坂城でも会津の鶴ヶ城でも再建されたものであり当時のままに残っているのは全国で五つくらいしかないのである。
会津の城は新しく再建されているから真新しく何か博物館にも実際なっているからそれが江戸時代からあったのかと思う。
もし戊辰戦争の時の鉄砲の傷跡とか残っていればそのときの戦いのすさまじさを感じる
何か真新しいものを見ているとまさに博物館であり実物の城のように見えないのである。
その点、弘前城は小さいけど江戸時代からのものであり再建されていない
それは小さいのだけど何か北の質実な古武士のようなものを感じたのである。
歴史に残る建築は人間の精神の表象でありだから単なる物とは違ったものを感じる。
それは刀をただ人を切るものというだけでないものとして侍は帯刀していた。
刀は単に人を切るものではなく精神的なものとしての刀があった。
鉄砲はただ人を殺すだけのものでありそれが否定されたというとき鉄砲は人間の心を精神を否定してしまうからである。
その鉄砲が今や機械の戦争と化していることでもわかる。



 城の美学

徹底的に無駄を省いた造型
簡素簡潔の極みの美
潔白の四面の白壁
忠誠の主君の天主閣
質実の土台の石垣
貧しさの中の無駄のない美
武士道の結晶の美
身を律して静粛なり
冬樹のように張りつめて
ここに自ずと人格は陶冶され
一本筋の通りぬ
城下町の細い道
身を引き締めて
侍の威を正し歩む



城は東北では大きなものはない、一般的に日本の城はなぜあのように小さいのかと思う
今ならビルと比べるとあまりにも小さいのである。やはり日本の狭い島国だからこそ生まれた茶室のような無駄のない建築になっていた。
戦国時代に信長が鉄砲を導入して覇者となったがその後江戸時代になり鉄砲を廃棄した。それは精神性の方を重んじたからだというのがこの見方は世界史ではない
なぜなら熾烈な戦争では武器も核兵器になるまで追求しているからである。
日本の江戸時代のことは何なのかこれもわからなくなっている。
どうして駕籠のような原始的な人間の力だけに頼るもので人を運んでいたかというのも不思議である。

馬車を許可すると、駕篭かきや馬子、馬方、飛脚、船頭など古くから輸送関係の仕事を行なってきた者が職を失なう
同様の理由で、大八車の使用も禁止されていました。
(大八車の使用は江戸市中と駿府のみ許可。他の地域、特に街道での使用は厳禁)。
また、馬に乗ることが許される者の身分を厳格に定めたことも、馬車がなかった背景の一つ。
馬にまたがって手綱を取って乗れるのは武士のみ。

江戸時代はあえてこうして技術を否定したのである。こういうことは現代でありえない、そんなことしたら世界から取り残されるという恐怖があるからだ
そして侍が一番偉いんだという身分制封建制社会を維持するのには技術より鉄砲などをみんな使えるようにするより刀とか馬を尊んだ。
馬はヨーロッパでも騎士道でありナポレオンの時代も騎馬隊があって重んじられて貴族が馬をもつことでその地位を維持していたのである。
それは日本でも同じである。相馬野馬追いでもわかるように馬は特別なものだったのである。
いづれにしろ戦国時代に防衛的なものとして城が作られたが平和が三百年もつづけばそうした防衛的なものは城では無用化していたのである。
城で誤解するのは今ではあまりに小さいけど江戸時代は一番高い建物であり目立った。
天守閣が一番高く望まれていたのであり城が中心的な建物としてあった。
白虎隊が城が燃えたから終わりだとなって自決したのはそれだけ城の重みがあったからである。
現代はそういう中心になるもの重みになるものがないからすべてが混沌として分裂しているのである。
現代社会はだから精神的に安定しないしモラルも持ち得ないのである。

大阪城の詩(城の美学)
http://www.musubu.jp/shiropoem.htm

タグ:日本の城
posted by 老鶯 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論
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