一年ぶりに飯館村に行き思ったこと
(初秋飯館村の短歌に写真など)
滑の流れ
じさばら渓谷の山紫陽花
飯館の原野化した原にミソハギが咲く
ここに化と見えるから江戸時代ものか?
飯館に芙蓉に木槿農家かな
飯館や十輪ほどの秋薊
あいの沢初秋の石や蛙鳴く
何語る社一つや秋の蝉
橲原の道をたどれば黒揚羽一羽飛びつつ消えにけるかな
橲原に山紫陽花や雨ぬれしあと日のさして苔水々し
八木沢の峠越えゆく蝉の声ひびきて今日は曇りけるかな
飯館の道の辺あわれ芒に野菊ワレモモコウかな
飯館に空家一つや郵便箱木槿の咲いて人すまじかも
夏草に埋もれてあわれ道の辺に馬頭観世音飯館の道
作見の井戸見ることもなく五年すぎ村人何を思う秋かな
蝉の声ひびくもあわれ飯館に生きて死なむと思いしものを
葉山への社の道や夏草に埋もれて誰かお参りに来なむ
石一つ除染のあとに現れぬ平たい石や何と名づけむ
蛙石臥牛石久々に来てそを見れば何か心の落ち着きにけり
飯館ははや一本の樹を見ればほのかに赤く色づきにけり
飯館の広くもあれや知らぬ道萩の花咲き月見草咲く
飯館の奥の深きや森深く家一軒や桔梗の咲きぬ
滑にそい流れとどろき早しかな我が自転車に下りくるかな
橲原に山紫陽花や雨ぬれしあと日のさして苔水々し
八木沢の峠越えゆく蝉の声ひびきて今日は曇りけるかな
飯館の道の辺あわれ芒に野菊ワレモモコウかな
飯館に空家一つや郵便箱木槿の咲いて人すまじかも
夏草に埋もれてあわれ道の辺に馬頭観世音飯館の道
作見の井戸見ることもなく五年すぎ村人何を思う秋かな
蝉の声ひびくもあわれ飯館に生きて死なむと思いしものを
葉山への社の道や夏草に埋もれて誰かお参りに来なむ
石一つ除染のあとに現れぬ平たい石や何と名づけむ
蛙石臥牛石久々に来てそを見れば何か心の落ち着きにけり
飯館ははや一本の樹を見ればほのかに赤く色づきにけり
飯館の広くもあれや知らぬ道萩の花咲き月見草咲く
飯館の奥の深きや森深く家一軒や桔梗の咲きぬ
滑にそい流れとどろき早しかな我が自転車に下りくるかな
空き家に郵便箱に木槿
この石は除染のあとに現れた
あいのさわ
この丸い石は顔に見える
牛の背のような大きな石
早くも色づいた樹
除染の風景
パノラマ写真
前田辺り
クリックして拡大するときれいに見えます
芙蓉の咲く村
ゆったりと芙蓉の花が映える
木槿も咲いて農家のありぬ
家は家は森に隠されて
花のみがその色も濃く映えている
その広い空間が癒しになる
素朴なるものがそこに映える
芙蓉の花はあどけなく一日
煩わされることなくゆったりと咲く
赤と白と花は調和して咲いている
花のみがそこには淀みなく映えている
その空間は広々として牛がもうと鳴き
花のみがゆったりと己が色を出して咲いている
飯館村に八木沢峠を越えて一年半とかぶりに行った。コンビニができたというので行った自転車は暑さに弱い、今年も暑くて行けなかった。
そして雨がつづいて行けなかった。でもかなり走ったけど涼しいから疲れなかった。
自転車はやはり夏は向いていない、体力が消耗する。
秋になると涼しいからかえって気持がいい。
橲原渓谷を通って八木沢峠を上った。橲原渓谷の道は荒れてしまった。車が震災以来通行止めだから通っていないからだ。
今度のカメラは流れや動きあるものをとるのに優れている。だから滝とか流をとった。
カメラは今は何するにも欠かせないのだ。
まずカメラで記録してふりかえり俳句とか短歌にしているからだ。
今度のカメラは流れや動きあるものをとるのに優れている。だから滝とか流をとった。
カメラは今は何するにも欠かせないのだ。
まずカメラで記録してふりかえり俳句とか短歌にしているからだ。
飯館の不思議はいつも何か雰囲気が違っている。街といってもスーバーが一軒とかパチンコ屋も歯医者も何もないのである。
ただ飯館は本当に広いなとつくづく何回も行っているのに思った。
今回はあいの沢から前田とかに出た、そこも広い山間だった。
そこにも家が何軒かあった、ただ今は除染の工事だけである。
それにしても今は飯館村は除染の土をつめた袋がどこでも置かれている
そして道の脇は除染している。
それにしてもいたるところ除染しているから除染はとてつもない労力が必要だと思った
そもそも飯館村は森が七割であり広いからである。
だからあそこも飯館村の領域だったのかとはじめて知ったのである。
ただなぜか葦は茂ってないないで萱が芒が多くなっていた。
葦は除染のために切ったためかもしれない、八沢浦などはまた一面の葦原である。
除染はどれだけの効果があるのだろうか?
あれだけしているのだからそさなりに効果はあるのだろう
でも森からまた放射性物質が流れてくるからどうなのか?
あそこでまた米とか野菜を作れるのか?牛を飼うことはあきらめただろう。
すると他でも小高ですら放射線量が低いのに帰らないとなるなと
村民は帰るのだろうかとなる、工場があってそこだけは働く場としてある
ではその他の農業とか林業とかはどうなるのかとなる
そしてもともと飯館村には病院もないし不便な場所だったから帰らない人も増えてくる
だから一旦田んぼでも放置したらそれを復興するのはむずかしくなる
前々から金にならないとかばかりどこでも農業は言われて来たからである。
跡継ぎもいないとかなりこの際やめて補償金もらって他で暮らした方がいいと考える人もいるのもわかる
ただ飯館村とか村には村の良さがありそこで生きたものはまたそこで死にたいともなる。老人は帰りたいというときそれは一種の生物的本能でもある
飯館村に蝉が鳴いていた、するとそこで蝉がなくようにその地に死んでゆきたいともなるその心境は老人でないとわからない、つまり老人と若い人の差はそういう精神的な面でも大きな差がある。
別にどこでも死んでいいとかにはならない、都会とかで東京の高層ビルで死にたいとは思わないだろう。
つまり田舎と故郷で見逃されているのが死に場所としての自然がある故郷であり田舎なのである。このことはあまり注目されていないのである。
何か生活が不便だとか経済的側面だけが強調されて精神的な側面が注目されない
もちろん病院がなければ年寄りは病気になるから暮らせないというのも現実である。
実際にだから小高でも夫婦で妻の方が病気になり子供の所で暮らすようになったから帰らないとなる。飯館村でもそういうことが起きているだろう。
それでもどこで死にたいかとなるとた別問題になるだろう。
いづれにしろ老人の問題は死と切り離されずある、そこが意外と注目されないのである。それで原町の90何才かの人が他にもう移りたくないと墓に入りたいと自殺したのも冗談のようであるがやはり精神的なものが大きく影響していたのである。
他にも移りたくないと自殺した人もいたことでもわかる。
人間は故郷とか自然の中で家で死にたいというのが本能的なものとしてある。
それが人間も機械ではなく生物であるからそうした本能をもつのである。
あいの沢では例の石を見たときほっとした。一つは何か円く顔に見えるしもう一つは牛が寝そべっているような大きな石である。何かあそこにきてほっとしたのである。
飯館村自体の自然がなくなったわけではない、だから自然環境保存村とかとして残す方法もある。
だからそこにはキコリの宿のような宿泊所が必ず必要なのである。コンビニができただけで行きやすいとなったからである。
それでもそこに村民が住んでいないなら成り立たないともなる
飯館村は赤宇木村とかと規模が違う、6000千人の村はそれなりに大きいのである。
赤宇木村とかはあそこの道を通っても村として意識できなかった
家が隠されて見えないこともあった。飯館村は面積が広いから大きな村なのである。
そしていいのは森に家が一軒一軒隠されていて家も人間も目立たないのである。
だから人間の生活を隠したということでヘシオドスの言う平和な村になっていた。
そういう場所では花とかが自然がかえって映えるのである。
それでいつも飯館村に来たときなにかここのアトモスフィア(雰囲気)とか空気まで違う感じになっていたのである。
前は大倉から来る道から七曲がりの道がありもう一つの新しい道路がなかった。
その時森におおわれて道があっても人が通らない昼も暗い道があった。
そこに清い流れがあり春になるとキクザキイチゲなどがひっそりと咲いていた
そしてそこには大きな石がありそれしか目立つものはなかったのである。
だから自分はあそこが道になったことは残念だった。
飯館にはそういう神秘的な人の手がつかない自然のままの所があった。
飯館はとにかく広いから隈なく行くことはできない
今回は前田の方とかに出たがそこは始めて行く場所だったことでもわかる
ともかち赤宇木村でも廃村になるというときその村の記録を残そうとして聞き歩いていることが放送された。
飯館村はどうなるののか?何か村に残された社とか碑とかが忘れられて本当に草に埋もれてしまうこともあるだろう。
信仰の問題は別としてそれは文化財なのである。そういうものも失われてとどうなるのか人が住まなくなるとそういうものを死んでしまうというより幽鬼のようにそこから彷徨うものがでてくるようになる
廃村になった廃墟の村ではそうなっているし前に大原の廃屋を紹介したけどそこも幽霊屋敷のようになり不気味なのである。
例えば大原に一本の老木がったけどそ大原も歴史が実際は古い
するとその老木に人間をみるのである。大原の人で病院で知り合った人がそうだった。
その人はそこで死ぬまで農業をしていたのである。
その人は数年前死んだ、老木は何かそうした人間をイメージして残っているのである。
津波で本当に不思議だったのは庭に残っている二本の樹があるとしたらそれがまるで夫婦のように離れがたくそこに立って残っていたことなのである。
その樹が人間に見えたのである。村でも一旦人間が長く住んだ場所は純な原生の自然とは違ったものになっている。人間化した自然なのである。
だから村の樹でもそれが人間化して見えるものがある
人間が住まなくなるとその樹も人間がいないので一段と取り残されたように淋しいものとなっているのである。
それで廃村とか廃墟になったところは幽鬼が死んだ人の霊魂が彷徨っているような異様なものとなっているのである。
自然に帰るとかはならない、そこにはやはり人間的なものが異様なものとなっても残っているのである。そこにも限界集落でも廃村化してゆくことの大きな問題がある。
別にそんなところ経済的に損になるだけだからなくしてもかまわないと都会の人が言うが経済的側面からしか人間を語るべきではない、人間は経済的なものだけでは計られないものがあるからだ。
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