2015年09月27日

原発避難区域の復興が小高でもむずかしい訳 (小高病院の配管修理の七億円は小高の人が出せば復興になる)


原発避難区域の復興が小高でもむずかしい訳

(小高病院の配管修理の七億円は小高の人が出せば復興になる)


小高でも原町に家を建てた、鹿島に早くから家を建てた人もいた、結構原町とかに家を建てている。
息子は名取に家を建てて高速で原町の会社に通っているとかなにか外に出る人が多い感じがする
小高に帰りたいという人は老人だけど原町に家を建てれば老人もそこに住むようになる
なぜそういうことができたかというと補償金が多額だったからである。
金があるからこの際もう小高をあきらめて原町でも鹿島でも相馬市でも外に家を建てた方がいいとなった。
つまり前も書いたけど補償金が必ずしもみんないい方向に向かわなかった。
かえって金が補償金が復興のためには良く働かなかった。
金が小高とか他でも復興するより復興しないものとして働いたのである。

もし補償金がそんなにもらわなかったらもう避難区域でも小高でも不便でも何でもそこに住まわざるをえなくなったろう。いくら放射能汚染で住めないといってもどこにも住むところもない、金もないとなれば住まざるをえなくなる
そうすればなんとかそこで復興させようとなったかもしれない
現実に金がなければまず外で家建てるとか住むことも簡単にできないからである。

その一番いい例が小高病院の配管を直すのに7億円かかる。
ではその金を誰が出すのかというとそれが大きな課題になる。
東電が出してくれるとか県で出してくれるとか市でもなんとかしてくれるとか
小高の人たちはそういう考えしかないのである。
多額な補償金もらっているのだからみんなで金を出して病院の配管を直そうという意志がないのである。
他人まかせなのである。それは今回の原発事故ではみんなそうである。
津波の災害の復興で一番働いたのは自衛隊であり地元では何にもしていない
あとは外から来たゼネコンとかであり地元の人は金があるからパチンコだ競輪だとギャンブルになった。
鹿島に競輪の券の売り場があるからそうにも通っているらしい、それもすぐ近くだからである。
他はやることがないと困っているのが現状である、老人が多いから働くこともできない
だからあと5年補償金もらえればなと老人は思っている
というのはあと五年で相当な貯えができるからそうなる
すでに一千万ためたとか金のない人にとってはかえって良かったとなる

ともかく小高の問題で小高病院が復興できない、配管に7億円かかるというときこれは津波の被害ではない、地震の被害でそうなった。
放射能被害とも違うから東電では金を出せないだろう。
何か津波でも地震でも放射能被害と一緒になったのがこの辺である
津波とか地震とかの被害は放射能とか関係ないから補償金はでないのである。

小高の人たちの問題は小高病院に象徴されているように小高を復興しようとする意志がある人が少ないのである。
むしろ補償金もらったからこの際外に出て家を建てた方がいいとなっている
もし本当に復興する意志があるなら補償金もらっているのだから金を出し合って復興しようとするだろう。
その金は相当に価値ある金となるだろう。
みんな心意気がその金に託されているからまた違った金となる
そういうところから復興がはじまるはずである。
ところがそういう意志がないから誰かが金を出してくれるだろう、外の人がやってくれるだろうとなっている
それは避難区域とか津波の被害地でもそういうことがあるだろう。
それだけ被害が大きいということもあってあきらめる人も出るのがわかる

そもそも補償金もらってギャンブルで遊んでいるということがおかしい
その金をなぜ小高病院の配管を直すために出し合わないのか?
それを今度市の財政でなんとかしてくれとなると原町でも鹿島でも自分達が補償金もらっているのだから出し合って復興しろとなる
合併していないならそのことをあまり強くは言えない
でも合併して南相馬市になったけど補償金の不公平さで分断されているのが現状である。だから仮払金の百億円を鹿島区に市の財政から払うというとき反対した人が原町にいたのである。
仮払金とは東電が賠償金をはらうまで市で立て替えるもので実際はあとから東電から支払われたのだから市としては何の損にもなっていなかった。
その辺のことが混乱してわからなくなっていた。
結局南相馬市で一番損したのは鹿島区だったのである。
原町区は鹿島の三倍は補償金もらっているのだ。

こういうことがあったらようにもし市で小高病院の配管修理の七億円を出すことはやはり市全体では問題になる。特に鹿島区の人は不満になるかもしれない
なぜならどうして七億円を小高のためにだけ払うのかとなるからである。
そういうことを小高の人たちはほとんど考えていないのである。
補償金はもらうだけもらえればいい、文句はあってももらうのはもらった方がいい
あとあと小高に帰っても何でもあれ必要になるからだ
それはこんな状態にされたのだから当然だとなっている

ただそんなこと言っても誰も自腹をきって出す人はいないだろう
それは自分たちの出す金ではないと思っているからだ
東電であれ国であれ市ではないにしても出すべきで自分たちは出すべきではないと思っている
だから誰もそんなことを心配していない、
ただこういうことに何か今回の問題が象徴されていたのである。
要するに小高病院はこの一つの例であり何か復興できない象徴なのである。
これは一つの例であり他にもそうしことで復興することがあるだろう。
それが小高区の人たちにそういう意志がなくなっているからだともなる
ただでは南相馬市としてはどうするのかとなる
小高の問題は南相馬市の問題だからである。
もちろん南相馬市は県の問題であり国の問題ともなるのか現代である。
海への放射能汚染では世界の問題にもなったのである。

タグ:小高病院
posted by 老鶯 at 15:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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