十五夜(今年もさらに平和を感じた)
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この道を今日も来たりぬ秋薊
この里に根付くや薄秋薊
萩しだれ小蝶隠れて日のさしぬ
数十輪ここに集めて野菊咲く
十五夜やなお健やかに我が生きむ
十五夜や争いやめてなごみあれ
一五夜の光清めむ町一つ
十五夜の我が家を照らし平和なれ
百歳を生きて一五夜団子食う
一五夜や今日は休まむ日曜日
十五夜や今年も復興願うかな
今日は十五夜で円い月がでていた。何か自分の家も震災でも津波でも四年半過ぎてそれなりに平和を感じた、ただ仮設はまだあるし平常には戻っていない
まずこれほどの異常なことが起これば一身上でも平穏を心から願うようになる
この辺はともかく自然災害はまた何十年と来ないだろう。
そして忘れたころにまた災難がやってくる
津波は四百年過ぎて来たからだ。
何か人間界でもある時どうにもならなくなり膿や毒を出して生まれ変わることが要求される時がある。
それが易姓革命である。天変地異が起きて世が変わる。
ともかく平和な家庭ではないにしろそれなり30年間は平和つづきとにかく自分は楽だったのである。
三食は出されていたし自分のすることはしたいことをするだけだった。
今になるとこれは本当に恵まれていたなとつくづく思う。
そういうことは奇跡的であったかもしれない
意外とこうした平和は長くつづかないことを知ったからである。
介護とかすでに10年近く追われる生活だった、今でもそうである。
家事を一人ですることが大変なのてある。
だから本当に近辺しか出歩かない、毎日買い物でありこれも毎日一仕事である。
何か食べ物や飲み物を出すのも手間なのである。
レストランであれ食堂であれ運ぶことも手間だとつくづく思った。つまりこれも食堂でも何でも運んでみれば手間なことを知るのである。
何かサービスを受けることは手間が必ずかかっているが自分でしてみないからわからないのである
今年の十五夜は去年よりさらに平和を感じる
去年も感じたが今年の十五夜はまた違っている、年々違って一五夜はがありこの辺はやがて復興してゆくことを願う
ただ四年半過ぎてもなにかまだまだだなと思う
それだけ被害が大きかったためである。もうどうにもならないほどの大被害だった
だからこれが元にもどるとしたら一〇年とかでやっと一区切りだなとかなってしまう。
それだけの時間もかかる
あと二年で常磐線が仙台とつながったときが一つの大きな復興になる
自分は今や定着文明を生きている。なぜなら近辺しか出歩かないからである。
今年も二回しか仙台に行っていない、ただ津軽に一回花見には行っている
ほとんど同じ道を往き来しているだけである。
それはすでに一〇年近くつづいているのである。
それでも何か新しく見いだすものがあるのも不思議である。
今度のα6000という一眼レフはいいカメラである。
こういうカメラをもつと写真をとりに行きたくなる
このカメラのいいのは液晶画面だけではない、直接目でみる窓があり光に反射しないからねらった写真がとれる
写真でとると何か違ったふうに見えるから不思議である。
野菊の花はこんなふうに見えなかった。
このカメラはいいカメラだからいろいろまだとってみたい、夜景はうまくとれなかった
夜景はむずかしい、でも写真の魅力は大きいということをこのカメラでまた感じた
タグ:十五夜
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