抽象画(大地の結合)
Combination of the earth
これはもう少し「大地の結合」として連作が必要である。
前に絵画化したものをまた利用できるのがパソコンでありインターネットである。
前に書いたものを書き加えたり新たに構成することができる
「時事問題の深層」とか紀行文とか前に書いたものが今も読まれている
それも十五年とか過ぎてしまったのである。
10年過ぎるともう読まないのものが普通である。
インターネットは次々に更新されるからそうなりやすい
でもインターネットは記憶されていて意外と消えないのである。
書店にある新書でも何カ月でなくなる
するとあとはアマゾンとかで買うほかなくなる
そこにはもうしり得ない無数の古本がある
本でないものはない世界になっている
抽象画にするとき何か前に描いたものが生きてくる
手直しすると前よりいいものができている
それはソフトによるのである。
ペイントショップはこれは使いこなすのが容易ではない
すると応用範囲が広いからこんなことができるのかと
新しい創作が生まれる
この一連のものもそうだった。
ペイントショップで新たに創作されたものである。
「大地の結合」というとき何かその題も自分で言うのも変だが良かった
意外とタイトルから抽象画をイメージする
何か抽象画はわからないからそうなるのである。
自分で抽象画を作って自分でこれは何だろうと思う
瞬間的に「大地の結合」というタイトルをつけた
大地の感覚は自分は田舎で追及してきたからである。
郷土史は土の上にあるということでも書いた。
ただ自分は実際に農業していないから本当は大地というのが自然が実感としてわからないのだ。
大地を知るには自ら大地を耕して実りを得ることで実感するのである。
小さな畑で毎日働いている人は大地を理屈ではなく体で知っている
それでもそれが金になるこはない、売れるほどのものは作れない
一回だけネギをもらっただけでありかえって金がかかっている
それは趣味でありそれで生活にはそもそもならないのである。
大地を知るには自ら大地を耕して実りを得ることで実感するのである。
小さな畑で毎日働いている人は大地を理屈ではなく体で知っている
それでもそれが金になるこはない、売れるほどのものは作れない
一回だけネギをもらっただけでありかえって金がかかっている
それは趣味でありそれで生活にはそもそもならないのである。
大地の結合というときやはり人間は自然の子だから大地からも離れてありえないのだけど大都会は大地から遊離している。
そこには本当の結合はない、部分化された機械化された部品の集合になっている
「大地の結合」というとき自分で言うのも変だが力強さを感じるのである。
そこには本当の結合はない、部分化された機械化された部品の集合になっている
「大地の結合」というとき自分で言うのも変だが力強さを感じるのである。
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