コスモスと秋薔薇
故郷に柿なり親し女(ヒト)一人
朝日さし駅に四五輪秋薔薇
朝日さし40の女(ヒト)や秋薔薇
秋の川鴎に鵜に雁や何語る
コスモスや田舎の道に鳩のいる
秋の空鴎鴎飛びくる街の中
美しく蝶の出会いて別るかな日に日に風の寒くなりゆく
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今は写真の魅力が大きい、田舎でも写真を趣味にしていると退屈しないかもしれない
田舎は四季があるからあきないものがある。
写真をとると自然の新たな発見がある。
見えないものが見える、光がさしているとかこういう一瞬のシャッターチャンスをとらえる。
今は俳句だけだと訴えないだろう
写真をみればまさに写生俳句に自ずからなっている
それから抽象画的なものもパソコンでできるからデジタルカメラとパソコンは切り離せないのである。
二人の女性がいる、一人は六〇代であり一人は四〇代である。
それぞれが違った個性になる。
別にその人が仕事でくるだけでちょっと話すだけである。
でも四〇代でも秋薔薇がにあっているかもしれない
秋薔薇というと何か六〇代の老人にふさわしい感じがする
でも四〇代も成熟しているからふさわしいとなる
はっきりいってまず六〇代になると三〇代でもあわない、なんとか四〇代はあわせられるかもしれない
それはただちょっと話すだけの関係である。
川に鴎と鵜と雁がいる、何を語るのかともなる秋である。川には芒がなびいている。
鴎は今日は街の中を飛んでいた。
海が近いから一羽くらい飛んでくる。これが気持いいのである。
鴎が飛んでくることは海が近いのである。
亘理駅にも飛んだのを見た。
あそこも意外と海が近かったし浜吉田駅まで津波が来たことには驚いた。
浜とつくから海が近かったのである。
津波では海を意識させられたのである。常磐線は相馬から岩沼でも海が近かったのである
鴎は今日は街の中を飛んでいた。
海が近いから一羽くらい飛んでくる。これが気持いいのである。
鴎が飛んでくることは海が近いのである。
亘理駅にも飛んだのを見た。
あそこも意外と海が近かったし浜吉田駅まで津波が来たことには驚いた。
浜とつくから海が近かったのである。
津波では海を意識させられたのである。常磐線は相馬から岩沼でも海が近かったのである
コスモスと鳩はにあっている。鳩が道に一羽いる、それはなんでもないが平和な光景である。鳩には本当に何か優しさをあたたかさを感じる
つまり動物でも花でも自然は何一つ偽りなくそのままを現しているのである。
つまり動物でも花でも自然は何一つ偽りなくそのままを現しているのである。
何か今年は今日も暑い感じになる、朝晩は寒くても何か暑く感じる
だから秋が深まってゆくという感じがしない
温暖化で季節感が狂ってきたとなる
ともかく写真をとることは自然を深く見ることになった。
だから一眼レフのカメラは必要である。
これも実際は七万くらいで買うことができた
望遠レンズは使っていない
写真はやはり一瞬が勝負になることがある。だかちその点今度かったソニーのα6000はいいカメラである。
タグ:コスモス
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