秋薔薇 草の花(写真を絵画風に)
この路地を曲がりて一輪秋薔薇
散り残る花びらあわれ秋薔薇
故郷に何を飾るや草の花
百歳の母なお生きる細し月
ながらくも空家に今日も白き薔薇散りて咲きしも秋となるかな
今日も咲く空家に白き秋の薔薇我が通りつつ我に向き咲く
道の辺の叢深く月見草田舎に静まり月の光りぬ
秋薔薇というのは何かものさみしい、それが何か田舎にあっている。
そもそも花というのは田舎にあうものである。
都会には草の花などあわない、また見つからない、自分は東京で学生時代過ごしたけど自分にあわないことを知った
それ以来田舎の隠者になっていたのである。
でも田舎にも人間の醜さがあるしその醜さがまた露骨に現れやすい
自分はほとんど田舎でも人づきあいしなかった。
つまり隠者でいられたことが不思議だったとなる、それは特殊な家庭環境でそうなっていたのである。
ニートと言えばニートになるが高度成長時代は会社員になるのが普通であり誰でも就職できた時代である。正社員になれた時代である。
だからあの時代はまず会社員にならない人は社会からはずれた人だったのである。
そして今思うことはなぜあのときみんな企業戦士になったのかという疑問である。
もっとその時こそ社会に余裕があったのだからみんな会社員になる必要がなかったのである。
あの時代こそニートでもアウトサイダーでもなる人がもっといていい時代だった。
つまりみんな会社員になることは社会にとってもつまらないことである。
不思議に今になると隠者であってもその中でたくわえたものがあり今実っているといのうも不思議である。
人間はとにかく何もしなくてもつくづく何か蓄積している
その蓄積したものが必ず最後になり花開くのである。
そしてまた今思うことは今の時代はかえって経済が凋落してゆくときニートとか派遣が多いがそういう時代ではかえってそういう人たちは社会にとって奴隷化されていた
一見自由なようでもそんなにニートでも派遣でも多いということがアンバランスになっていたのである。
アウトサイダーはもともと社会ではまれな存在だから意義があった
それがこんなに増えること社会人として普通になることが異常になる
そしてこれからの社会はそうしたニートとか遊んでいる人は社会で許されなくなる
生活がみんな厳しいしそして少子高齢化でどこでも人手不足のときなぜ働かないのだというプレッシャーがどんどん強くなるからだ
もう働かないなら移民の方がいいとか外国人を大量に入れる
そうすると働かない人たちはさらに苦境にたたされる、日本から出て行けとかなりかねないなのである。
だから高度成長時代こそ社会からはずれる人間がもっといてよかったのである。
なぜならその時こそ社会に余裕があったし経済も上り調子だったからである。
その時は人手不足であっても団塊の世代のように若い人が多かったからちょうど時代にマッチして人材は供給されたのである。
ともかく月見草は本当に月見草であった。これは名前が良かった。月を見ている草であり花なのである。こういうのはやはり田舎に住んでいないと感覚的にわからない
自分は田舎の静けさとか人がこまない所がもともと安らぐ、性格的にそれが高じると異常になる。
田舎のシーンとした夜が安らぐ、都会にはそれがない、だから住みたくない
そもそも都会で自然への感性をみがくことはできない
俳句でも芭蕉のような俳句が作れないのはやはり江戸時代のような環境が喪失したためである。江戸時代の静寂とか闇は喪失した。そこで人間の感受性も喪失した。
だから月見草と名付けたのは田舎に住んでいた人が名付けたのだろう。
京都が発祥になるものが多いにしても京都もまだ江戸時代辺りは自然が豊である。
意外なのは大正時代は6000万の人口しかなかったのてある。
東京でも二百万くらいとかの人口しかなかったのである。
そういう世界は確かに貧乏でも今になると落ち着くなと思ってしまうのである。
それにしても空家に咲いている白い薔薇は不思議である。そこは十年以上は人は住んでいない、
でも時々人は来ている、しかし空家に咲いている花は誰も見ない
自分は毎日その前を通るのでその花は自分に向かって咲いては散っている
空家が膨大に増えてくる、空家は自分の家もそうだが古くなり修繕する所が多くなり古い作りだから住みにくいから住むのがむずかしいことがわかる。
いづれにしろ人が住まない庭に咲いて散っている花も不思議である。
やはり花も誰かか見ているとき活きているのである。
誰も住まなくなった家に咲いていても虚しいとなってしまうだろう。
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