2015年11月01日

大量に墓も捨てられる時代 (墓を守りつづけるのはむずかしいー立派な墓はいらない)


大量に墓も捨てられる時代


(墓を守りつづけるのはむずかしいー立派な墓はいらない)


実家の墓は墓しか残っていない、その家を継ぐべき人が死んだとき、「墓を守ってくれ」と言い残して死んだ。でもそれを引き受けた人は今になるとあとの処理をどうするのかという問題に直面する
墓は一時崩れるような状態になり70万で直した。そのあとに3、11の地震が来たのであのままだったら壊れた。
まず墓というのは守りつづけるのが容易ではないのだ。
でも墓はまた簡単に捨てることもでないのである。
でも墓を守るものがいなくなればいつまでも放置しておけないから捨てることになる
それでどこかの島に墓石が大量に捨てられていた、その中には元禄時代のものもあった。おそらく元禄時代ともなると誰もお参りするものなどいなくなっていたろう。
最近は少子高齢化で家の跡継ぎすらいなくなり膨大な空家にも困る
日本が急激に人口もへり経済も縮小してゆく時代なのである。


墓というのは代々つづく家がないと誰もお参りしない墓になる。それをそのままにしておくこともてきないから捨てるのである。
でも墓を捨てるということかなかなかできないから放置されたままにもなる
空家でもそうである、誰も住んでいなくても放置されている
それで市では空家でも壊す権利がある法律が生まれたのもわかる
墓は空家よりもやっかいなことがある。
墓には霊魂が宿っているとか何かものとして簡単にかたづけられないのである。
だから墓を立派にするのは代々つづく家でありつづかない家は墓は粗末なものでもいい
立派なものにしたらあとの処理が誰がするのかとなる、それじ自分も失敗した。
墓を立派にすれば供養になると思う人がいるが後継ぎかなければ邪魔なものになってしまうのである。


つまり墓は代々つづくものとして建てられていた、それが少子高齢化とか核家族とか家族が分散して遠くになるとかいろいろな事情で代々受け継がれる墓は少なくなった。
だから大量の後継ぎもない墓が増えてその処理に困っている
それで島に墓の墓場ができてしまったのである。
核家族とかなるとまた墓が次々に増えた、家が増えたのと同じである。
今は家族が一カ所にとどまらずばらばらになりやすい、すると墓でも後継ぎがなくなる
そして墓は簡単に捨てられないとか残された墓をどうしたらいいかと大量に捨てられたのである。
だかち「墓をも守ってくれ」とかたいした金でもないのに引き受けるとその責任も重くなる。墓というもきを簡単に考えるからそうなる


ともかく墓ということ自体が問題になる時代である。それは時代であり少子高齢化であり社会の変化で家族も変わってしまったからである。
江戸時代の武家だったら時代も変わらないから代々守られることがあるし現実に寺はその墓を守る役だったのである。
でも不思議なのは明治時代のようにな佐藤家とか、、、、家とかの墓がなく名前が記された個人墓である。家族の墓は明治以降にできたものであり新しい墓の形態だった。
だから時代が変われば墓の形態も変わるのである。
江戸時代はまず庶民は墓をもっていない、ただ江戸時代後半から裕福な人がでてきて農家でも個人墓に名前を記したものができた。そういう墓は残っている
大方の庶民の墓は残っていない、明治でも多かったのは家族の墓てはなく夫婦の墓であり江戸時代にもあった。家族墓は新しいものなのである。


明治以降は今は簡単に墓を作りすぎたのである。誰でも作れるから作りすぎたのである。結果的にそうした墓の始末に困っているのだ。そんなに墓ばかりふやしても後の処理に困るのである。
なんか卒塔婆のようなものを建てていた方が良かったように思える
キリスト教なら十字架一本が建っている、そういう簡単にした方があとの始末も楽である立派な墓にするともし後が継ぐものがなければ壊すこと自体が一仕事になり金もかかるとしたら一体誰が金を出すのかとなる。
「墓を守ってくれ」というより墓を壊す金に使ってくれともなる
現実的には実家の墓はそうなりやすいし他でもそうなる墓が膨大に増えてくる
個人墓にしても一体その跡を誰が守るのかという問題がある。

ただ墓というのはいろいろなものがある。それがすべて壊して処理するのがいいとも限らない

沖縄南部の米須という集落に行くと、畑の中にブロック積みの小屋があり、中に位牌が祀られています。聞くと沖縄戦で一家全滅した家を、地域で祀っているのだそうです。

そして私は沖縄南部に八年暮らし、なんども糸満の平和祈念資料館を訪問し「平和の礎」に刻まれた人々の名前を見て回ったことを思い出した。
 これの施設も、広義には墓と言えるだろう。そこで重視されているのは遺骨よりも名前であった。あそこでは沖縄の戦禍という、ある共同性が示されていた。
 死者の名前というのはなんらかの共同性のなかで、継がれるものなのではないか。。


こうして歴史を語る墓もあり地域で守っているのは意義あることである。
自分も墓を見て歩き郷土の歴史をに興味をもったのである。
なぜなら墓というのは何かそこに現実に人が埋まっているというので無味乾燥な資料とは違うからである。
そういう点ですべての墓が壊して処理していいとはならない、でも一般的にもう墓が増えすぎるからどこかで処理する他ないのである。
墓より名前だとというのもまた言える、名前のない墓のことを書いたがこさも奇妙だった名前がないということはその人の個性とか実体までないのかとなる
その家で不詳の息子であり名前を記す金がないから親の名前を墓に記していないのである

沖縄では最近死んでわからなかった人が発見されて名前が記されたりしている
あれも一つの墓の形態であり共同墓地なのである。
でもいつまでも陸軍兵長とかなんとか戦時中の軍隊の位を記した墓がある、そういう墓に何の意味があるのだろとなる、今になるとそんな位は意味ないのである。
その墓が大きく目立つのはそれは戦没者として戦時中で国家が名誉を与えたからそうなっていた。今はなにかいつまでもそうして陸軍兵長とか目立つてども何か嫌悪感を感じるのである。墓というのはやはり何かあまり目立っても嫌なものを感じるのも不思議である。何か粗末な墓で人知れずうもれている墓にあわれを感じたりするのである。
権力者が大きな威圧的な墓を残すのも嫌悪を感じるのである。


墓とは結局古い家が壊され新しい家が建つように壊れされて処理すべき運命にある。
そうしなけれは墓だらけになってしまうからである。
ただどの墓を残すべきかとかは判断はいろいろあるが家族墓となるとどうしても後継ぎがなくなればお参りするものもなく荒れ果ててしまい邪魔になるのである。


だから墓は卒塔婆のようなもの十字架のようなものでもいい、すぐに処理できるものの方がいいとなる。石の墓だと取り除くこと自体手間であり金もかかってしまうからである。ただ墓に墓の役割がありこれも簡単に墓を軽視できないものがあるからやっかいなのである。
人を見るとき頻繁に墓参りする人は故人を思っている人なのことがはっきりわかる。
でも息子でも娘でも墓参りしない人は親を思っていないのである。
なぜこの人は墓参りするする気にならないのかとわからない人がいる
おそらくあまり親のことは思わないのだろう。親に苦労させられた人はそうなるかもしれない、墓参りしようとせずなぜ金ばかり要求するのかとなる


ともかく人間は死んでしまえば忘れ去られるのが早い、親でも子は忘れる、そして遺産ばかりを気にする、それがこの世であり無常である。だから死者を思いつづける人はその人を相当に思っていた人だとなる
墓参りしなくてもいいし死者は無言であり語りかけることもしない
墓参りしてありがとうなどとも言わない、何の返事もないからである。
墓参りすることはそういうふうに意味があることである、だからそのことを否定はできない、ただ後継ぎなくなるから立派な墓はいらないとなるのである。
粗末な墓でもむしろその墓に参る人の気持の方が大事なのである。
気持がなければ墓参り自体しない、親に苦労させられ人は毒親に育てられた人は死んでもあまり情がないことはしょうがないことである。


後継ぎかない墓はふえるというとき墓参りは必要でもその跡が簡単に始末できるのがいい親か死んでも子供が知っている人が生きている間は墓参りはする
その後となるともう少子高齢で核家族で分散化するからもう長くはできないのである。
家が二代とか三代くらいで終わるのが増えてくるということである。
だからそれに見合った墓がいいとなるのだ。立派な墓はいらなかったのである。



墓が捨てられる
〜無縁化の先に何が〜


「古石材預り所」と称する管理者(52)によると、中四国や関西の寺から撤去された墓石を石材店などの業者が持ち込んでくる。家庭の事情で墓を引き払い不要になった墓石のほか、無縁墓もある。1基1万円で受け入れ、最近は年300基ほど集まる。「ここ数年でどんどん増えている。もうけはないが、やめたくてもやめられない」。まだ9万基収容できるという。


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