2015年11月06日

心をつなぐ一本の線路(詩) (北海道の消えゆく線路)


心をつなぐ一本の線路(詩)

北海道の消えゆく線路

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北海道の果ての線路
一本のみが伸びている
駅舎も古りて単線のホーム
確かに一本の線は伸びている
広々とした野は枯れて
何かをつなぐように
一本の線は伸びている
でも果たしてその向こうに
駅があるのだろうか?
それも何かおぼつかない
それほど淋しい線路
北海道の路線は次々に消えた
この線もいづれは消える
野は枯れて霧の向こうに
寂寥とした枯野の向こうに
本当に駅があるのだろうか
町があるのだろうか
誰かが乗るのだろうか
誰かが下りるのだろうか
アメリカのアムトラックに乗った時
一人のみがその駅に下りた
駅の名はプリンスとか覚えている
王子様が住んでいる所
それも広大なアメリカであったのか
一本の線路は心をつなぐもの
でもそのかなたに本当に駅があるのか
誰かか待っているのか
ああ 家族はみな亡き人となった
故郷に帰っても誰も待つ人もいない
みんな墓の中だ
その駅には幽霊が待っているのか
良く帰ってきたなと
笑顔で迎えてくれる家族
その時自分は悲しく涙がでる
誰も待つ者もいない
人はみんな死んでゆく
ああ 一本の線路よ
それは心をつなぐ線路
それはかなたにつづき
人と人をつなぐ

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北海道には十回行っている、それは梅雨の時期に仙台港から苫小牧に船で行っていた。最初は電車の旅だった。二十年くらい電車の旅だった。だから日本の線路はだいたい乗っている。乗っていないのは関西など私鉄だけである。
ただ北海道の線路は今や半分は消えているだろう。
まず自分のように旅行した人もいないだろう。旅行が仕事だった。そんなことができたのも幸運だった、今なら遊んでいるニートなどいくらでもいるからめずらしくない
あのころはそんなふうにして遊んでいる人は少ない、一カ月も自由に旅する人は少ない
そのあとは物足りなくなって自転車の旅になった。
今になると自転車の旅もできない、筋肉が疲れてだめになったからだ。
遊びにしてもこれも簡単なようで時間がない体力がないとできなくなる


外国まで電車の旅をしていた。アムトラックで思い出したのはそれは深夜だった、一人の女性がおりた、それは一人だけだった。こんなところに駅があるのかと不思議だった。
さぞかし淋しい駅なのかと思ったらそうでもない、調べると写真もでているが「プリンス」という駅でありその名前で覚えていた。
外国でも名前で覚えることがあった。
アメリカは広くてこれも記憶に残りにくかった。外国の旅は記憶にのこりにくい。
でも旅はあとで思い出すことが意外と大事だった。景色も消えてその名前だけが印象に残ったからだ。アムトラックも観光路線であり冬でありがら空きだった。
アムトラックなどは座席が大きくゆったり座れることがよくそこでソァーのように眠れたから良かった。日本は座席が狭いから眠れないのである。


とにかく自分は鉄道にこれだけ旅行したのだから愛着がある。鉄道マニアというときいろいろある。撮り鉄とかいろいろある。実際に線路まで愛着を覚えるのが鉄道なのである。鉄道には何か人間的なものがあり旅情がある。
バスだと何かそういうものがないというのも不思議である。
鉄道の旅とバスの旅は全然違ったものなのである。
インターネットで藻琴駅とかの写真を見ていた。あそこも駅はあってもバスが線路を走るそうなると全く違ったものになる、やはり一両でも車両が走らないと気分がでないし旅情がないのである。
鉄道というと音にも感じる、汽笛でも線路を走る音でもそうである。
それはやはり旅しているからその心があの音に感じる、駅もまた旅情がありバス停とは違っている。鉄道はそれだけ人間的である、新幹線になるとまた違っている
早すぎて旅情がない、ただ早く運ぶだけだとなってしまう。
鉄道が全盛期のころがなつかしくなるだろう。
それは団塊の世代でもそのあとでもやはり鉄道が生活路線だったときがなつかしい
駅だってそこが街の中心であり駅前通りがありそうしてにぎわっていたころがなつかしい車時代になり道の駅になったが何かそれで淋しいのである。


人間は最後は思い出だけとなってしまう。原発事故で故郷から離れた人も何かこの詩のような感覚になる。もう駅があっても双葉とか大熊はいつ電車が通るのかもわからない
それも想像もできないことだったし村ごと津波で消えたことも想像もできないことだったあまりにも変わりすぎたのがこの辺なのである。
ゴーストタウンになりゴーストステーションになっている。
こんな映画のようなことが現実になることがおもいもよらなかったきである。
ゴーストタウンを幽霊のように彷徨っている姿がある。
そしてすべて消えたのか、やはり思い出はみんな残っているのである。
死んだ人はなにもなくなったのか、思い出だけが今でも残っているのである。
一本の線路は心をつないでいる、それは死者とも通じている
それは自分が死ぬまで消えることがない、心の線路なのである。




タグ:北海道の駅
posted by 老鶯 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)
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