日頃積み重ねたものが困難な時に活きる
(津波や原発事故で試されたもの)
今回の津波原発事故では様々なことが問われた。未だに問われているし解決もしていないただ何が問われたのかとなると困難なときには日頃積み重ねてきたものが活きる
南相馬市立病院は脳外科の面で脳梗塞と脳出血の治療を積み重ねていたのである。
それは副院長及川氏が中心的存在だった。
それでここには脳外科関係で手術がうまい医者がいるということは言われていて知られていたのである。
別に原発事故になったからではない、それは相当前からそうした実績を積み重ねてきていたのである。
原発事故になり応援のために若い研修生が来たのではない、脳外科で優秀な医者がいて病院でもその方面で研究を積み重ねてきて知られていたのである。
それがこのような困難な時に活きてきたということである。
何かこういう困難なときがきたとき日頃の行いが問われた。
そして自分の一身上のことを書いてきたが何か人生も終わりになるとその人生そのものが問われる。お前は何をしてきたんだということが厳しく問われる
それは別にこのような災害とか事故がなてくてもみんな問われるのである。
日頃から何をしてきたかが最後に問われるのか人生であり人間である。
そういうことを若い内は考えない、何をしようが勝手だよとかなっている
でも人間の時間は限られたものでありそこで時間を無駄にすればあとあと最後にその時間を失ったことに嫌応なく気づかされるその時すでに時遅しとなっているのだ。
なぜ自分が困難に直面したとき親戚といっても遠いものとなるが自分を助けられなかったのか?
それはその人の日頃の行いが悪いから助けられなかったのである。
借金で首が回らないから自分が困っていることなど眼中になくただ多額の借金だけが頭にありそんな人が自分が苦しいとき来たのだから最悪だった。
その人は人を助けるどころではない、弱みにつけこんで借金を申し込む、それが弱みがあるから無下に断ることができないから好都合だったのである。
自分にしてみれば恐ろしいことだったが相手も何も感じていない
ではなぜ助けられなかったからというと結局日頃の行いが悪い人が困難にあるとき助けることができない、その人はすでに借金を積み重ねていた、その原因は問わないにしろそうならずに前にすんだことはありうる。
つくづく人生をふりかえると日頃の何でもない行いが実はカルマとなりいいにしろ悪いにしろはねかえってくる。
人間は自分でも若いときからそんなことを考えないのである。その場その場をただ生きればいいとしか考えない、でも人間の行為というのは思いでも何かしら積み重ねれられていたのである。
何事一朝一夕になるものはない、例えば卑近なものでもそうなのである。
趣味でもそうである、将棋をやろうとしてもこれもかなりむじかしいから日頃がしていないと遊ぶこともてきない、写真でもそれをすぐに会得することはむずかしい、俳句だってこれは五七五に並べればいいんだとか老人にもなって暇つぶしにでもできるもんだとかはならない、やはりこういう簡単に見えるものでも積み重ねなのである。
季語を知るにもやはり毎年その季節をみてその感覚を積み重ねないとできないのである。
それはあらゆる分野でそうである。
積み重ねなくしてプロの粋に達するものはないのである。
積み重ねるときなぜ日本だけがアジアで西欧化に成功したかというと江戸時代の積み重ねがあったのである。一見外国と閉鎖して遅れていたように見えても江戸時代に積み重ねられていたものが西欧の文明にふれて活きたからこそ明治維新が成功したとなる
すでに和算とか技術的にもそれなりに明治になって活かされたものがある
工業化するための素地がすでに日本の江戸時代に作られていたということがある。
何でもそうして積み重ねたものが困難の時に活きるのである。
ではお前は何を積み重ねてきたのかというとこれもなんというか自分でも不思議である。ただお前は旅などして遊んでいただけであり何を積み重ねていたのだとなる。
それが自分でも不思議なのは何もしないことも隠者のような人でも何か積み重ねていたのである。
自分は石と樹とか花にひかれてそれを詩にしていた。それは社会生活とは離れたものであってもやはりアイディンティティ化していったということは積み重ねていたのである。
こういうことは勤め人になるとかえってできない、別な仕事に集中するようになるからである。
その人が積み重ねているものはみんな違っている。でも何かしら積み重ねていないものはない。それが60とかすぎると明確にわかってくるのである。
なんか自分の短歌とか詩が今避難区域になっている荒廃した地域の人に読まれているというのもそうである。
何か普通はあまり読まれないがこういう状態だから読まれたとなる
ふしだらな欲にかませた日頃の生活だったらまず若い内は許されるなどと言ってもでは後年、老人になったらできるかとなるとできない、
節制の生活も日頃からの積み重ねである。放蕩の限り尽くした人が突然節制した隠者になったなどはありえないのである。
そういう生活は打ち消しがたく顔にも刻印されるし心も刻印されるからもう打ち消すことはできないのである。
あらゆるものが積み重ねである。技術でもそうである。それは江戸時代からの積み重ねがあり発展してゆくものがあった。日本の技術が優秀だと言われるときやはりそれは江戸時代から明治維新から積み重ねてきたものがあったからである。
何か突然に奇跡のように日本が工業化したのではないのである。
この世に奇跡のように何の積み重ねもなくて成るもものはない
ただ天才になると努力しなくてもできるから普通の人は見習うことはできない
でも天才にしてもそんなにいろいろなことはできない、あの人は天才だったけどそれほどの功績を残していなかったなということはありうる
あの人は凡才だったけど後年結構いいもの作品を残したとかなる
ユダヤ人は悪く言われけど迫害されてきた歴史がある。
その中で土地をもたないから金融業とか会計とかに優れるようになったとも分析もある。
つまり農民とかと違ってそういう方面で積み重ねた歴史があった。
計算に強いということは数学にも科学にも強いからアイシュタインのような人が生れたとなる
最初はユダヤ人という人種が優秀に思えたのだがそれは特殊な事情で歴史的に積み重ねれらたものがあったからである。
いづれにしろ困難なのと時なにも積み重ねない人は何かしようにもできない
結局パチンコ屋とかギャンブルとか風俗とか金を費やすことしかできない
大工をやっていた人は大工で働いていた、それは日頃から大工の仕事をしてきたプロだからである。
例えば農家の人など土地がないから何もできないとなるが土地を借りて野菜作りした人がいる。経験しない人もしたがやはり経験している人はできる。
野菜作りはいろいろとめんどうでありむずかしいのである。ただあらゆるものは簡単にできない、何かしら熟練が必要になってくる。
こういう困難な時期だからとでは何ができるかとなると日頃何も積み重ねていなければ結局何もできない、ただ足手まといになるだけである。
そうして何もできない人たちはこういう困難な時期には迷惑になるだけである。
医者であれ看護師であれ大工であれ、、、、何かを積み重ねてきた人たちはこういう困難な時期に活きる、まず医者とか看護師ならどこに行っても就職できるからである。
そしてこういう困難な時期に看護師などはますます必要とされて活きるのである。
何か積み重ねたスキルがないものは突然に何かできるということはありえない
戦争するしたって自衛隊で無駄でも訓練も何もしなかったら最初から戦争などできない
技術の訓練をしていなければ今では戦争にもならないからである。
だから人生は日頃の行いで決まる。何も積み重ねないものは何もできない、困難に対処できない、何も積み重ねないから何もできないのである。
学問にしてもこれもまた地道な積み重ねなのである。自分は学問をしたけどやはりまだまだ地道な積み重ねが足りなかったとなる。つまり勉強することが知識は膨大だからみんなそうなる。
インターネットなどもなかったから知識の点でも狭いものとなったとかなる
必ずこうして人生は後悔しないものはいないのてある。
「鉄は若い内に打て」「若いときに汝の神を覚えよ」とかもめそうである。
若い内にそうしないものは一生その機会を逃してしまうから一生の悔いとなるから怖いのである。
ある時にしかできないものがある、恋愛すら時期をはずれるとできない、若いにしないならできない。それは一回しかできないとなる
見合い結婚が多いとき恋愛していないから六〇とかな退職してしてみたいとかいうのはそのためである。
旅などでもいつでもできるじゃないかと自分は思っていた。しかしこれもできない、ここほぼ十年は全くできなかった。でも旅は十分したから自分にはこの点では悔いがない
ただその他いろいろとしないものがあり悔いが残ったのである。
だから自分はいろいろな点で欠けている、でもあらゆるものが満たされている人はいないなぜなら人生の時間はそれぞれに限られているからである。
極限られたことしか経験しえないのである。
原発事故というのも津波とかの想定外というが日頃の積み重ねが悪かったのである。
事故が起きないようにせずに権力で政府と一体になり安全神話を作ってきたからである。もし三〇年とかの間にそうした技術の積み重ねをしていたら事故は起きなかった。
再三危険性を指摘されていても権力で無視できたからである。
だから自分はカルト宗教団体で経験したように権力をもつことは黒でも白といえることが怖いのである。アメリカとかは巨大な権力をもっているから軍事力で黒でも白と言えるのである。それは中国でも言える、権力が巨大化するのが怖いのはそのためである。
だからそうした権力の横暴を防ぐのも日頃からの積み重ねで国民がそうしなければもう権力の暴走はとめられないのである。
日頃積み重ねたカルマが良い結果となり日頃何もしないもの積み重ねないものは結果として必ず現れるから怖いのである。
それはこの世の厳格な法則である。それは個々人でもそうであり国家という共同体でもそうである。日頃の積み重ねなくして何もできない、困難なとき特別な力が奇跡的に働くということはありえない、日頃の積み重ねが困難なときに現れるのである。
だからこの辺の復興というときでも日頃から積み重ねがないものは何もできない
パチンコやギャンブルや何か無益なものに費やすだけだとなってしまう。
そういう人が多ければもう復興はできない、何の力もスキルももっていないからである。
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