ギリシャの春の俳句二十句
(海外旅行でもう一度行きたい場所ー海外旅行も危険でしにくくなった)
ギリシャの春俳句二十句
菜の花やスパルタの故地や一面に
スパルタや今は菜の花に羊かな
スパルタに城壁あれや残る雪
プロボネスその奥深く岩に雪
羊飼い山に上るや芽吹くかな
羊飼いギリシャの古りて春暮れぬ
ギリシャに女神現る春の花
松古りて神殿古りて春の花
神殿の跡に花々春の海
神殿にオリーブの樹や春の風
芥子の花赤く映えるや奥地まで
一本のギリシャの鉄路春の暮
春の日や雪に神々しオリンポス
ゼウス住むオリンポスかな雪閉ざす
ひびき落つ清水や春の岩の山
ドルフィに竜舌蘭や柱古る
島々を船のめぐるや春の海
島古りてギリシャの海や春暮れぬ
老人に露店や貨幣春暮れぬ
菜の花に埋もれたドルフィの神殿
ギリシャの暮らし(ここにいい写真がある)
海外旅行してみてもう一度行きたい所はどこかとなると自分の場合は自然が美しい所だった。
それで春に行ったギリシャが良かったなと回顧する
ギリシャの良さは地形が山あり海あり島ありで日本ともにて変化に富んでいる。
そしてなによりも歴史があるから自然も古色蒼然としたものになる
自然がないところはピラミッドとかあるけど何か茫漠としてまた行きたいと思わない
ギリシャからあれだけの文化が生れたのはやはり自然が多様だということがあった
だから羊飼いがいてポリスが各地に生れ都市文明が生れ船を利用した貿易が生れ
植民都市が作られて繁栄した、そしてギリシャはヨーロッパ文明の基礎を築いたのである山の上に上ってゆく羊飼いを電車の窓から見えたのである。ギリシャの鉄道はしょぼい、日本のローカル鉄道よりしょぼい、それでも鉄道があった。
自然というときオリンボスの山々は荘厳だった。そこに最高神のゼウスが住んでいたことがうなづける。そこは本当に聖域の感じだった。おりしも春でも純白の雪におおわれていた。多々あそこでホテルがあり泊まらないのが失敗だった。
いい場所ではゆっくり見て印象に残すことが大事だった、そういう機会がなくなるからである。
海外旅行というとき一度しか見れないということがあるからだ。
それでヒマラヤでもそうである。春に行ったが曇っていて3000メートルまで苦労して上ったのに8000メートル級の高峰が見えなかった。あれも大損だった。
富士山だった実際見たのが日本にいても少なかった。富士山のきれいに見える場所ではなかったのである。山は高く見える場所がいいのである。
山は見る場所によって全然違ってみえるのである。
自分は高い山に憧れるのは自分の住んでいる所に高い山がないからである。
もう一度行きたいとなるとスイスが高い山があるから行きたいとなる
ヒマラヤも行きたいとなる、あとは自然で感動したのは大きな川である、それは日本にはなかった。
ともかくこれほど日本でもそうだが海外でもそれなりに旅した、海外は10年くらいだったから今だと旅行したとは言えないかもしれない、海外旅行の猛者がいるからである。
自分の人生は旅に費やされたとも言える、だから今になると不思議なのはいながらにしてやはり旅している、自分の魂が全国を外国をやはり旅して放浪しているというのも不思議である
だからこそこうして回想して詩や今回は俳句を作った。
今回のテーマは菜の花だった、ギリシャのプロボネス半島について鉄道に乗ったとき一面に菜の花が咲いていた。菜の花は日本のものかと思ったが外国でも咲いていたのである。これは日本と変わらないと思った。
ギリシャは春に行けば花がきれいである。日本のように湿気がなく乾燥していて雑草も少ないから花の絨毯のようになる。つくづくオリーブの樹が乾燥した所にあっているのもわかった。磐城でオリーブオイルを作るためにオリーブを植えて成長した。
磐城はそれだけ浜通りでもあたたかいからできた。ただ水はけが悪くて苦労したというのはやはり気候が影響するからむずかしい
とにかくギリシャはもう一度行きたいとなる
それにしても日本国内でも海外でも旅行しにくくなった。ギリシャでも経済難でありシリアの騒動でありヒマラヤでもネパールが地震とかで大被害でありテロが怖いとかある。
そしてここ十年は自分の住む場所も津波原発で騒乱状態になり一身上でも介護病気とかでさんざんな目にあった。そこには平和がなくなっていた
観光でも平和でないなら観光どころではなくなる、だから何か自分は幸運だった。
旅すら本当は簡単にできないものだとふりかえる
日本国内すらもうホテルがとれない中国人だらけたとかゆっくり日本の情緒すら味わえないのかとも思う時代である。
そういう時ではなく旅をしたから幸運だったとなる、旅というのも必ずしも簡単にできない、金があってもできない、社長でもできない、社長は忙しいから仕事に追われるからである。、そのうち旅する時間も鳴くなのである。
ともかく人間は時代の影響を受ける、こんなに国内でも自分の住む所でも海外でも変化すると思わなかったからである
10年一昔は本当である。この辺のめまぐるしい変わり方がそうであり外でもそうだったのである。
だから30年くらい平和がつづいたということ自体が特別なことだったのかと思う
自然災害であれ戦争であれそういうものが起きるのが特殊のことではない、平和な時間が意外と持続しないのである。それは対外的にもそうであり一身上でもそうだなとつくづく思った。
回想するたびもまた一つの旅である。これだけ旅したのだから今は回想する旅をしているのも楽しい、その回想する旅をするにはやはりいかに心の中に印象として残されるかが問題なのである。団体旅行は自然に注意するというのがなかなかできない、ぺちゃくちゃ話していると自然が印象に残らないのである。
自然を見ることに集中することが旅には必要なのである。
そうすると回想して旅が後でてきることになる。
自分は一カ月くらい平気で旅していたから回想する旅が今になるとできたともなる
外国を俳句にするのはむずかしい、でも俳句は一つ一つの場面を思い出すのにいい、ただ一句だけでは作品にならない、連作となるとき作品となる、短いから一句だけはもう俳句は成り立たないのである。
ギリシャの旅ー春の俳句十句(ここに自分のとった写真)
ヨーロッパの詩