避難解除になる小高の不安
(その女性は鹿島区の人の不満すら知らなかった)
家の庭を作ってくれた小高の人は塚原であり津波の被害にあった。その家は新築の豪勢な家だった。
そこには帰らないという、そこは津波で住めない地域になったからだろう
でもその人は原町でも事業していたから補償金は相当なものになっている
それで一時土地がないかと来たことがあった。
その土地はみんなが探していた、「土地がないか」と常に聞かれていたからである。
例えば鹿島区で一番いい場所は西町でありそこの土地は震災前は70坪で7百万であり
誰も買うものがなかった。自分はいつもその土地と値札をみていたのである。
あれを買っていれば今だと三倍くらいになってるかもしれない
大手の大東建託が十棟以上のアパートを建てたからである。
今度は大きな復興住宅が建つし新築の家はまだ建っているが一軒家は前のようには建っていない、小高の人は金をもっていても土地の確保が容易ではないから家を建てることは簡単にはいかない
ただ来年4月に避難区域が解除することでどこに住む不安になっている、小高に帰っても前から知っていた人と今日病院であったけど暗くて怖いんだよと言っていた。
確かに一万くらいの人口があったところで2000人くらい帰ったとしても街でも街からはずれたら暗くなり怖いというのはそうかもしれない、街自体がもう街という感じがしないだろう。それで帰ることを躊躇している人はかなりいる
そして老人しか帰らない町になってしまうからさらに淋しいものとなるからだ。
その人は何か5年近くいても自分たちの立場も何もわかっていないのは不思議だった。
鹿島区の人が補償金をたいしたもらえないから小高の人たちに大きな不満がありつきあわないとか言ってもそのことすら感じていなかった。
そして小高の事情だけを言っていた。その人は何かあまり仮設内でも交流がないのとその人が何かそういう事情を知らないというより人間が何か苦労を知らないからなのか
何かぬけている、女性でもいろいろいて何か世間をわたる能力にたけていない人がいる
女性には何かそういう世間知らずの人が相当いる、自分も実際は世間知らずだった。
だから最近知り合った女性は何か苦労の連続であり世間を知っている不思議があるからあの人の方が変わっていたとなる
ともかく小高の人は今相当先行きでも不安になっている、まず小高に帰ってどうなるのかそれもわからないし見通しがつかない、若い人は帰ってくるというけど帰ってこないとみるのが普通だろう、避難解除になった楢葉では5パーセントしか帰らなかったということでもわかる、帰れるような状態にないのである。
その女性も補償金もらっているけどこれからが不安だと言って自分に何かいい方法がないか聞いたのである。
大きな復興住宅が建つから仮設を出たらそういう所に入るにしても今度は家賃がとられる、自分の墓地の前の復興団地には家賃7万で入っている人がいる、家族が多く部屋数が多いと高くなる
その家賃を払い生活費を払うとなると金が必要になるけど老人だから働くこともできないということがある。
あの人は松川浦の魚売りしていたけどそういう仕事もなくなった。
ただ車が運転できるので有利なことはあるがそれでも年になっているから働くことがみんなむずかしくなっているからあと5年補償されればなとみんな言っているのである
ただあの人はなにかのんびりしているというのはそういう性格なのと何かお嬢さん的だからかもしれない,何か5年もいて近くの事情もわからないのもそうだしほとんどこの辺のことがわかっていないのもそうである。
小高に一億円あっても何か住んでもいいことはない、店もない、病院も入院できない、サービスが受けられないとしたら金があっても金が活きてこないのである。
だから原町とか鹿島とか相馬市でも新地にも小高の人が家を建てたというのもそのためである。小高に帰るということがそれだけむずかしいのである。
だから小高でも家をリホームするより壊している、竜田駅前の家もリホームしていたのかと思ったら壊していたのである。
飯館村では千軒の家が壊されたことでもわかる、つまりもう帰って来ない方が多いのである。
要するに避難区域が解除になっても楢葉町で5パーセントしか帰らなかったように簡単には回復しないし老人だけが帰り回りが暗くて淋しいとなるし住みたくないという人が増えてまた人口が減ってゆくかもしれない、そういう限界集落に住むのは誰もさける
ともかく避難区域解除になるこは小高の人たちにとっては今度は厳しいことちなることは確かである。
そのことを鹿島とかその他の地区でも同情しないかもしれない、お前たちたんまり補償金もらったのだからいいだろうとかなる、その女性がそのことを感じていなかったということはおかしなことである。
ただそういうことを感じないで5年近くも暮らしていたということも不思議である。
それだけ今は別に金があれば困らない生活になっているからなのだろう。
何か避難して困ることがあればこうはならないだろう。
誰かに助けてもらうとか頼みに来たりするからである、そういうことがなければ何も頼る必要がないのだから鹿島の人が不満だということすら知らなかったのである。
それが今度は避難区域解除されてどこに住めばいいのか、帰っても暗く淋しいから嫌だとかなり家賃を払うのも困るとかこの先の生活をどうするのかとか不安になってきたのである。
そのことはわかっていたことであり早くから手をうつべき問題でもあった。
回りの状況も知らずにのんびり暮らしていたというのもおかしなことだったともなる
タグ:原発避難区域解除
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