2015年12月14日

郷土史と関係していた葬儀 (共有する死ー納棺終わる)


郷土史と関係していた葬儀

(共有する死ー納棺終わる)

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葬儀はもともと大変なことだった、だから村八分にしても葬儀だけはしないというのはとても一人でできないからである。
自分の父親が死んだときは野辺送りであり薪とか積んで死体を燃やした。
それを中学生の時に経験したからショックが大きく死のことばかり考えるようになった。あういうふうにして死体を焼くのはすさまじいものでありそれを忘れることができなかった。
だから宗教とは死を克服しない限りないものとして求道してきたのが自分である。
宗教は政治とは関係ないものである。経済とも関係ない、そうした死の無常観から生れたものである。


今回の母の死の葬儀では前の姉のとは違い親戚とか親しい人が8人くらい集まったのとは違っていた。
自分一人ともう一人とあとは組の人が数人は焼香して最後の納棺は三人でした。
でもこの三人くらいは最低は必要になる。自分の場合は一人だったら精神的に葬儀は苦しいと思った。
葬儀はやはり一人の死と直面する、それが70年も一緒にいた家族となるショックが大きいのである。
確かに葬儀屋は今はみんなしてくれるから何かするということはそんなにない、でも何か死者を送るというのは精神的負担が大きいのである。
まず明日火葬場で焼き骨を拾い骨壺に納めるまでは精神的負担が大きい
母の死に顔はいい顔だとみていたがそれも明日はなくなり骨だけになる
その変化がまた大きいのである。
だから精神的負担がそこまで大きいから一人だったら苦しい
二人でも三人でもいると負担を分担できるから楽になる


その納棺で供物とかいろいろなものを生前好んだ食べ物を入れるのだと言われた。
母は干し柿だとか梅干しとか大正生まれだから好きだった。
イチゴも好きだから買った。こんなときはケチはししていられないと思った。
そして考えたことは何か本当は郷土でとれたものを棺に入れればそれもその土地に生きたものとしてにあうものだと思った。
昔は何か葬儀というのはそうしてその土地土地に違っていて風習があったというのは
その土地に生きてきたものが違っていたから風習も違っていたのである。
それは郷土史として探求すべきものでもあった。
その土地土地のものとして生きるということがありその土地でとれたものを食べる、活かされる、そして死ぬときその土地で作られた食べ物を供物としてささげる
それが供養でありその土地に生きてきたものとしての死にふさわしいということに気づいた


この辺では松川浦で石鰈を大晦日とかには食べる習慣があった。それはこの辺で石鰈をとれたからそうなっていた。今は放射能汚染で食べられなくなったのである。
つまりその土地にふさわしい生き方をして死ぬならその土地にふさわしい葬儀の仕方もあり風習が違っているのもその地域地域の生活が違っていたから当然だとなる
そういう地域に生きることがなくなるとき葬儀屋にまかせてしまう、
葬儀屋ではでも葬儀の仕方をいろいろ研究している、地域のことも研究して地域の風習に合わせようともしている。
でも葬儀屋が葬儀をするのと地域で葬儀をするのとでは相当に違っていた
だから何でも専門家してそれが職業になるということもまたそぐわないものを感じる
そうかといって今は葬儀することも専門家に会社にまかせるしかできなくなった。
それはそれでいい面もあったが何か今回葬儀の意義を何か考えさせられた


結局人間は生れた時と死ぬときが一番重要な時である。
だから誕生日と命日がある。ただ死ぬ時は今は葬儀屋に頼んで一人の人間がどこであれ一地域であれ死ぬということの意義を共有するということがなくなった
これまでなら供物でもその土地でとれたものを捧げて土地の人々が集まり見送る、野辺送りとなるとそれは自然へ土へ返すという意義があったとも言える
何か死を自然とともにまたその村であれ共同体で共有する死だった
これは戦争中も戦死した人を迎えるとかなると国全体で共有した死だったのである。
今でも戦没者を弔うのは戦死者は国で共有する死だからそうなっている
昔は昔でいろいろ問題があったが何か戦後の高度成長時代から共有するということが少なくなってきたのだと思う


それが葬儀とかにでもそうなる。ただ前のようにはもどれないのが歴史である。
墓とは何かとか考えてきたけどこれも何かむずかしいのである。
葬儀も死者を見送るといかことで深い意義ある行為である
ただ仏教で戒名とか何か檀家がしきりやる葬儀は必要なくなった
そういうものを否定してもそれに変わる新しいものが葬儀には実は生れていない
葬儀屋は葬儀を便宜的に請け負うだけでありそこに何かしらの意義をがあっても死者を送り葬るにふさわしいとはならない
そううい共有するものがなくなったから今いろいろと墓でも模索されてい葬儀でもそうなのである。
簡易にするというのは金がかかりすぎるのもこまるし金をかけなくても意義ある葬儀はできる
ただそれがどうなるのかわかりにくいのである。


今回わかったとことは一人の死とはその人だけの死はあっても共有するのが人間の死である。
それは一地域とも結びつくから郷土史の分野にもなる、一人の人が生きて死ぬということは家族ともかかわるが一地域ともかかわりいろいろなものとかかわる死でありそれは生でもそうである。
だから死というのは一個人のものとしてあってもまた共有するものとしてある
人が死ぬとういのは一個人の問題として解決せねばならないものである。
死ぬ時は一人だというとき家族でも同伴はできない、看取るにしても結局死ぬ時は一人だとなる
実際に母は看護師がみてもいない間に死んでいた。死んだ後に連絡がきたのだから一人で死んだとなる、家族がみていてもそうなるときがある
死ぬ時は一人であり一人であの世に行く、そしてその時は誰に頼ることもできない
同伴者は信じるものキリスト教ならキリストしかないなとなる
ただ死には様々な側面があることにも気づいた。
共有としての死がありそれは全体と関係して郷土史とも関係していた。
郷土史からみれば共有の死のことであり個人として死のことではない
それは人間が生きることは個人としてだけでなく家族の中で生き一地域の中で生き会社で生き広い国という中でも生きるからそうなる
だから戦争の時の死者は国全部で共有する死となっていたのである。







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