冬紅葉(忌中)
ここで寝起きしていたからふさわしい
我が家の忌中になりぬ冬薔薇
冬紅葉散りて我が家や忌中かな
白菊や忌中に咲きて籠もるかな
母死ぬや曇り硝子に冬紅葉
塔古りぬ奈良を思ふや冬紅葉
七〇十年我が家のここに寝起きして働きければ祭壇のあれ
忌中とかいろいろな死後のことは仏教に由来する、ただ仏教でもすでに日本流の葬儀の仕方がある、神道が先にありそのあとに新道が入ってきたからである。
第一仏(ほとけ)は日本語、大和言葉なのである。ホトケはホトキだったとか言われる
何らかの死者を祀るものだったのだろう。
いづれにしろ葬儀にはいろいろあるがキリスト教のこともわからない、そもそも死者は何かわからない、いろいろなことをいってもわからない
ただ死ぬときは平凡な人でも厳粛になってくるのも不思議である。
死とはそれだけ人間にとって重大なことなのである
それでも母は働くだけであり多少最後の方で花がきれいだなとか言ったがほとんど関心がなかった。もし金だけを毎日数えているような人間だったら悲しいとなる
冬紅葉の季節に死んだのは母にふさわしかった。
人間は生れる日と誕生日と命日は一番大事である。
そして西行が桜の咲く季節に死んだのはふさわしかった、そもそも西行は桜を愛した歌人だったからである。
別に自分の母はそんな文学も何も関係ない、ただ働きつめの一生であり第一俳句も短歌も関心がないしわからない、自分が母の一生とか性格をみて俳句とか短歌にしているだけである。
冬紅葉というとき何か奈良にふさわしいのかも、もちろん京都にもふさわしい
奈良と京都は何か違っている、もちろん歴史的にもそうだが奈良は田舎的な所がある
自然もあるし田んぼも回りにある、それが何かひなびた感じになる
もちろん奈良は歴史もあるが京都とはまた違っている
奈良と京都の相違がやはり関西ではいろいろ文化があるから歴史がある
万葉集でも以前として奈良だったら偲べるが京都とか大阪になると偲べない
日本の純なる自然がすでに消失しているからである。
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