認知症の介護をふりかえる
(脳の病気が人間にとって一番悲惨)
認知症というのはその人によって性格などによって症状が違う。
母は95になり介護状態になり認知症になったけど別に普通の人とほとんど変わらなかったただ入れ歯をなくすとき何かあわてていたが怒ったりもしない
すぐに探して安心させたからである。そのことは前も姉のことで経験していたからである寝ていたから狭い部屋が生活範囲だから何かなくしてもすぐに見つかるからあわてる必要がなかった。
そして性格がおとなしいから介護しやすかったのである。
一方姉は激情的な人であったから症状も極端なものとなり本人も苦しんだけど介護する人も自分も苦しんだのである。
姉はいつも自分は優秀だったと言っていた。それが学生のときから優秀だった。
学校も一番であり体力的にも優れていたのである。
だから従軍看護婦となりシンガポールに四年間耐えることができた
当時は看護婦になること自体が簡単にはなれない、優秀な選ばれた女性たちだった。
それで戦争のことと自分が優秀だったことを言いつづけて死んだ。
その優秀なことが認知症では裏目に出たのである。なぜならその優秀であっても認知症になったら一転して痴呆になったという信じられない状態になったからである。
認知症になったことに気づいたのは最初暴力になったことである。
その時自分はショックでありどうなったのだろうとものすごく不安になった。
病気は急激に発症したと思った。その前はからそういう兆候があったが自分にはわからなかった。
それも衝撃だったが銀行に行ったのだが金をおろせなかった。それも驚きだった。
そんなことがありうるのかという驚きである。通帳とハンコをもっていけばおろせる、その自分の金をおろせないのだから驚く、そこで笑われたとか言ってその後銀行には行かなくなった。銀行に自分の金があることはわかっていても自分の金をおろせないのだから信じられなとなる
認知症になっらもう自分の金も自分の金でなくなる、金の管理はできなくなる
これも認知症の症状だった。自分の住所も書けなくなっていたから姉は最初から重症だった。
母は不思議なのは住所とか書いていたしまだわかることがあるのが不思議だった。
おそらく認知症特有の物忘れはあってもその他はある程度正常だったとなる
つまり極端なもの忘れがあってもその他は正常にある程度機能していたのである。
だからあまり悲惨な感じにはならなかったのである。
一方姉は自分は優秀だとプライドが特別高いから認知症になった結果悲惨になった。
つくづく人間は何が災いして何が幸いするかわからないものである。
優秀なことはいいことであるがそれが災いにもなる
プライドが高いということはそうして認知症になったときショックが大きいのである。
だから通帳をみて頭をたたいてわかろとしていたが理解できなくなっていた。
それが悔しいということがあり激情的な人だから他者にその不満をぶつけて暴力になったのである。
暴力的になるのは自分の頭が正常に働かせようにもできないからである。
そしてこれも悲惨だったのは例えば二階に着るものがあり自分でかたづけていてまた二階にゆくと自分の着るものがないと泣いて訴えていた。
財布なども隠してわからなくなり泣いて訴えていた。
それも悲惨なものだった。自分はそこから怒り暴力になることを恐れていたので財布がここにあるとか安心させるよう勤めた。
でも忘れるということでそれが感情的になり激情的な人は暴力になるから怖い
その時目の色とか顔まで変わることがあり一種の精神病のような状態になる
その精神病的状態になることが一番怖いことでもある
なぜなら60年も親しくしていた人が突然そうなったら本当に怖いことだからである。
いくらそうなっても60年も親しくしていたのだから態度を変えることはできない
家族として姉として自分は接してきた。それは自分の家族の特殊な事情も反映していた。自分は特別姉には良くされていたからである。
だから認知症になったときも別に姉として変わらず接していたのである。
そうしているうち症状も落ち着いてきたのである。
今ふりかえると自分は懸命に認知症の姉を介護して良かったと思う
なにかしらそれで恩返しできたとして満足している。
それだけ自分は姉には良くされていたからである。
何もしなかったら自分はなにも恩返しできないということで後悔することかあった
自分も何か姉のためにできたという満足感が今になるとある。
それは母も同じだった。つまり介護というのはやはりその人の家族の状態とかいろいろ事情が違うから介護は一様にはならないのである。
今になるとあの時懸命に認知症になっても正常のときと同じように接して介護して良かったと思う。
でもそれも短かったから助かったのである。長くなると二人介護になったからもたなかったからである。
ともかくこの十年間の介護の経験はやはりそれなりに得るものがあった。
弱者とか病人とか自分もなり弱者になるとはどういうことか身をもって知った。
実際は自分の場合は弱者化したとき何の助けもなく攻められるだけだった。
ただ自分は家族に対しては介護して尽くしたなとそれが満足感になっているのも不思議である。
弱者というとき老人はみんな弱者になる、体も弱り脳も弱りみんな弱者化するのである。つまり姉のように優秀だとか言っても認知症にな人が本当に多くなる
もう90才以上になると半分もなるとかそれが高齢化社会の恐ろしさなのである。
老人になればどんなに優秀であってもまた金をもっていたとしても認知症になったらその金も何の力にもならないのである。
金だ金だと金を第一にしていたがそれも何の役にもたたない、介護は金が必要でも金だけでは解決しない、やはり介護には愛が必要になるからである。
自分は特別世話になったということ良くしてもらったということがあり介護したからである。
それが赤の他人だったらそういうことができるかとなるとむずかしいのである。
我は助けぬ、認知症になるとて
変わらずに、家族としてありつづけ
弱りしものを、脳の病気とて
人はみな老い弱り悲しきものを
奢れるものも老い弱りゆく
悲しむものは幸いである
悲しまざる者は人間を知らぬ
我は弱りし家族を助け
我が心は今ふりかえり満足す
我も尽くすことのありと、、、
死者に心から供養するかな
介護は供養とも連続している。介護してやれば相手も満足して死にそのあと介護した人も供養できる、そうでないとなにか供養するにもうしろめたいものが残る
そういう人を知っているからいくら偽っても死者に対しては偽れない
外に装っても自分の心の中では偽れないものとなるから問題なのである。
いづれにしろ人間とは愛というとき常に与えられる愛を思っている
でも与えられる愛ばかり望んでいると不安定になる
常に愛されるのではないかということで不安になる
でももし愛する方になれば別に相手から愛されなくてもいい、そういう愛だったら愛は消えることがないのである。
なぜ離婚が多いかというと与えられる愛を望んでいて自ら愛するのではないからである。まずこの世の中で無償の愛というのは親子でもほとんどないのである
なんらかの見返りを望んでいる愛なのである。
それでおばあちゃんがいいというのは見返りを望まないからである。
自分の場合は一人はそうだったから認知症になっても尽くしたのである。
愛されるより愛する喜びの方が大きいということもある
それがキリストの教えだけどこれを実践するとなるとむずかしいからこそただ人は愛されることを求めているのである。
自分は多少介護で愛する方になり愛することにも心に満足感を覚えるものを今になり感じたのである。
そうはいってもそれも今になると介護が終わったから言えることなのである。
タグ:認知症
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