2016年02月03日

認知症の徘徊で鉄道事故 91歳の妻に約360万円の賠償命令 名古屋高裁



認知症の徘徊で鉄道事故 91歳の妻に約360万円の賠償命令 名古屋高裁


認知症になると変なのだけど知的障害者をもった家族の苦しみがわかる。
家族に監督責任が課せられて家族が責められるのである。
そして回りが同情することがほとんどないのである。
人間はつくづく弱者になると世間は冷たいなと体験でわかった。
田舎でも知っていた人でも認知症になったら相手にしないし差別される
弱者になったことでそれをいいことに責めてくるのが世間の非情だった。
もっと回りで見まもるとかなんとか言っているけどそんなことをするのはまれである。
かえってなんでちゃっと見まもっていないのだと責められるのである。
火に気をつけろとか日頃親しくしていた人でも何かと責めてきたのである。
もちろん確かにそういう心配があるからやむをえないということはある。
今回でも迷惑をかけたことで責められるのは被害が大きかったからである。
でもこれも別に鉄道会社だけではない、回りがみんなそうである。
ましてや実害があったらその責任を問い賠償金を要求する


判決に対して大会社なんだから大目にみてくれてもいいだろうと言う人も多い
個人ではないからそのくらい大目に見ろよという意見も多い
第一この家族は長男が横浜にいてその妻が名古屋まで来て介護していたのである。
そしてこの認知症の男性の妻は85で要介護状態になっていたのである。
これも想像すると苦しいだろうなとなる。
二人も長男の妻がわざわざ来て介護して二人をめんどうみる
そしてここで想像するのがその先が長いことである。
そしたら夫から離れて夫も仕事しているから苦しいとなる
うとうとしていたらその隙に家を出て徘徊したという
自分か介護で感じたことは二人だったら楽だったなということである。
なぜなら交代でめんどうみれるからである。
一人だとつききりになり何することもできない
自分が遅くなったとき姉は自分が帰らないとすごく心配して隣の人にいつも帰ってこないと騒いでいたという
でもその隣の人は姉が認知症になったことを知っていて受け入れてくれたのである。
その人は本当にいい人であり今でも感謝している
そういう人は本当にまれでありほとんどいない、田舎でもいない、たいがいは差別になったり
何かと監督責任を問う人がほとんどなのである。
そういうことが今回の判決にも具体的に出たのである。

この家族は世間は冷たいなつくづく思っているだろう。
鉄道会社も大会社なのに冷たいなと思っている
それでひどいなと見ている人も多い
でも知的障害者になるとこれが現実なのである。
監督責任が問われ家族は苦しむのである。
それで認知症になる家族を介護するとき奇妙だが知的障害者をもっている人の気持がわかるとなる
共通なことが多い、でも違っているのは年寄りの認知症になった人はこれまではいろいろと尽くした人であり自分の姉はそうだったから知的障害者になってもそう扱いなかったのである。
本人も自分はいろいろ尽くしてきたということを意識しているのだ。
だからプライドをもっていて馬鹿として扱うど怒るのである。
それが生れたときから知的障害者になっている人との大きな相違なのである。
自分はそういうことを身をもって感じていたから認知症になっても普通の人と同じように家族の一員として扱ってきた。
だから気分が良くなり改善したのである。ただそこには犠牲があった。
それでも二年半くらいで死んだので救われたのである。
介護は長くつづくと限界になってくるのだ
いつまでつづくのだろうと不安になるし知的障害者とつきあうことは必ず鬱になるのである。
自分もなっていたし普通のときのようにとても暮らせないのである。
自分の場合は二年半で終わったので救われただけである。

認知症にはもう85才とか90才以上になると半分はなるとか誰でもなるものなのである。
だからこれからはますます人ごとではなくなる
でも認知症に関してはなかなか外からまだ理解しない人も多いのである。
認知症のやっかいなのはこれまでいろいろ家のためでも社会のためでも尽くした人が多いその功績をないがしろに簡単にはできない、それぞれ違っていても自分の家ではそうだった
だから馬鹿になったという扱いは簡単にはできない
自分の家の場合は徘徊とかはなかった。ただ自分がちょとでもいなくなると不安になっていた
暴力もあったし家族もばらばらになった、そういうことをプログに書き続けてきた
つくづく在宅介護というけどそんなに今は人手が家族にいないのである。
自分も二人いれば楽だったがいない、ここでもわざわざ長男の妻が遠くから来て介護していたのである。
そのことは相当に負担だったろう。介護というのは在宅でも必ず一人にまかせられる傾向かある、誰か一人におしつけられるのである。


ここでも実際は認知症の91才と介護状態の妻の二人が介護になっていたのだ
自分も一時はそういう状態になりつつあったが一人が死んで救われたのである。
二人を一人でかかえる時に限界がくる、本当は一人をみるのに二人必要なのに二人を一人でみるのだからそうなる
在宅介護でおしつけられるとこれからもこうした事件や悲劇は毎日のように起こる
実際はすでに起きているのである。
介護で家族自体が崩壊してゆくということも起きてくる
こういう判決が出るのはまさに在宅介護をおしつける国側にも問題がある。
鉄道会社は民間だから損が出れば賠償させる、それも利益追及だからとめることはできない、慈善でやっているのではないともなる
ともかくいろいろ考えさせられる事件でありこれから認知症にとを対処するから社会が問われたとなる

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