東北新幹線ー春の俳句十句
春光の窓にまぶしや新幹線
タンポポや新しき駅に新幹線
みちのくの春の大地新幹線
新幹線北上川の芽吹きかな
北上の春の流れや新幹線
雪の残るみちのくの奥や新幹線
春の街新幹線の通るかな
新幹線結ぶ速さや春の来る
新幹線きらめきあいぬ春の星
新幹線青森近く花見かな
北上の川の岸辺に風そよぎぎ柳青みて芽吹きけるかな
北上の流れはつづきその岸に柳青める新幹線行く
北上の流れの長く広きかな春の日さして新幹線行く
自分は日本の鉄道はほとんど乗った。乗っていないのは関西の私鉄と新幹線である。
新幹線は乗れたけどわがわざ乗らずに普通車で旅した。
新幹線の速さだと景色もゆっくり見ていられないし旅にならない
でもビジネスとか勤め人にとっては遠くに行くのは新幹線が便利である
でも途中がほとんど省かれるから旅として記憶には残りにくい。
駅でもとまるのがわずかだから駅の名を覚えて記憶に残る旅はしにくい
意外と今になると旅は記憶される旅が大事だった。
記憶に残らない旅は失敗だったからだ
それで「駅一つ名を覚えすぐ春の雲」とかなる、駅にとまることによりそこに旅情が生れるのが鉄道の旅だった。ただその旅には時間がかかった、何か今になると10年間も旅はしていないのでそういう旅をした自分が不思議に思う
自分の人生は駅を電車で待っていたのが人生だとなってしまう。
それは相当に恵まれたことだった。
結局ふりかえれば人生は何に時間を費やすかで決まる、それぞれの時間は限られているし何でもできない、何であれ時間を費やしたものが人生である。
金を費やすのではなく時間を費やすことが人生だということがあとでわかる
いくら金があっても費やす時間は限られているからである。
だからいくら金を費やしたかではなく何にどれだけの時間を費やしたかが人生だということがわかる
東北新幹線で見えるのは北上川である、これは長い川だから新幹線でもその一部が見える連続しては見えないが部分的に見える、こういう長い川だったら新幹線が早くても見える春に乗ったときその岸辺が見えて柳が青くなり芽吹きの季節で風にゆれていた
北上川は長いからその長さを認識しにくい、でも新幹線から早いから北上川をみるにはいいとなる
でも早すぎるから俳句でも短歌でも旅情がない、でも技術が進歩すると人間もそれと同時に感覚も変わる、自転車からみる景色と歩いて見る景色が違っているし電車から見る景色も違っている。電車でも普通車と急行とか特急とか新幹線ではまた違ってくる
自動車からは見る景色は自分にはわからない、車も景色を見るには適していないだろう。
新幹線も函館まで通じるから函館が相当に近くなる、距離の感覚は変わってくる
青森も二時間以内となる東京より近いなとか函館も東京くらいの距離かと変わってしまうでも青函連絡船とかの時代とはまた随分違ったものとなる
結局ヘ便利になりすぎると旅情は喪失する、一番記憶に残った旅は自転車の旅だったからである。
それが記憶に残っていることが宝となる、なぜなら自分が今自転車で北海道を旅しようにもできない、体力は落ちているしできないだろう。
人間はこのように何でもできると思っても時間が限られているし体力もなくなり病気になったりしてできなくなる、だからしたいことを早めにしないと後は一生できない
海外旅行にも今になるときつい、50代が限界だった。
その時しなければできないものとなった。人生の時間の過ぎるのは早い
遊んでいても何もしなくても時間はたちまち過ぎるのである
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