津波原発避難民の復興とは何なのか?
(十津川村の北海道移住と比べる(2)
十津川村
第一條(移住住民は、故郷を去り、親や兄弟と別れ、絶海の地に移住してきて、移住者同士しか頼れるものはいないのだから、これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。)
第二條
(移住住民は、移住・開墾の費用として政府から破格の恩賜を受けたのだから、それぞれ五千坪の土地を開墾するまでは、他の仕事に従事してはいけない。但し、役所の許可を得た場合や、農閑期の場合はその限りではない。)
第三條
(恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない。但し、新村の共有財産の保護策が確立されるまでは、道庁に保護を依頼するものとする。)
これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。)
移住住民は、移住・開墾の費用として政府から破格の恩賜を受けたのだから
恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、新村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを各自に分割して消費すべきものではない
原発避難民
原発補償金は当然に町民村民に支払われるべきものであり各自自由に使ってもいい
すなわちパチンコであれギャンブルであれ何に使っても買っても贅沢してもいい
それは町に村に与えられたのではない各人に与えられたものであるから
誰も一致協力して町であれ村であれ残る必要はない、補償金は各自自由に使い何を買おうが贅沢しようがいい、一致団結する必要もない、それは町や村ではなく各人に補償金として与えられたものだからである。
その補償金の土地なり家なりの財物補償は各人が東電政府に対してするものである。
このように十津川村とは正反対なのが原発避難民なのである。津波の被害地域もそうである。
市でも町でも村でも津波の被害でもう維持できなくなり若い人は流出する
援助はそれなりにあっても市町村を復興することのために一致してする力がない
復興復興と盛んに言うけどこれも変なのだけど相馬市に若い夫婦が新築の家を建て高額の歯の治療したり高級な車を買いパチンコとかギャンブルで遊び暮らしている。
これも全く十津川村とは正反対である。
十津川村は厳しい宗教的とも言える戒律を作り実行したのである。
十津川村
移住開拓は非常事態なのだから、一人一人が倹約に努め、以下の各項を堅く守ること。1,不急のものは購入しないこと。2,家屋の構造は質素堅牢のものとし、一切の装飾は施さないこと。3,家族以外に二人以上加わる会席・酒宴は行ってはならない。但し、新村の記念日大祭祝日はその限りではない。4,村内に飲食店を開いてはならない。5,衣服はなるべく木綿のものを用いること。)
原発避難民
毎日マグロの刺身だ、補償金が一カ月百万だよ、レクサスやハーレーダビッドソンも買ったのも多いな、新築の家も建てた、もう帰らないよ、
金はギャンブルに費やしている、やることないしな、あいつは400万競馬でもうかったとか言っていたな、、、、、、、
十津川村と比べることはできないにしろ何かこの辺の異常性が浮かび上がってこないか?
今復興というとき何が最も必要なのか?
十津川村
これまでにも増して一致団結し、お互いに助け合い、猜疑や軋轢を生むことなく、新村の隆盛と勤王の由緒相続を目指そう。
何か古い村であり誇りをもっていた。野馬追いとにてるかもしれない。
復興というときみんな津波の被害地でも原発被害地域でも避難した人たちは村とか町全体のことを考えている人は少ないだろう。
放射能汚染で住めないということもわかるが何か復興ということで一番欠けているのは十津川村のような心情なのかもしれない、一つにまとまって団結して復興するのだという気概もなにもない
かえって原発避難民だけが多額な補償金もらって得したな、ここはもらっても少ない、隣の市などなにももらっていない
避難民は福祉関係でも医療も無料、福祉サービスも優先的にされ無料、何かと細かい所まで補償金がもらえる
こっちは何ももらっていない、同じ市なのにこの差はなんなんだ、だから避難民とはこの辺ではつきあわないよ
こんなふうに猜疑と軋轢を生んだだけだとなる、それは福島県全体に及んでいるのだ
放射能の被害は中通りでもありほとんど補償金はもらっていないからである。
原発避難民
各人は補償金をもらったら各人がその金を利用して自由に使い復興しなさい
十津川村とは正反対になっている。こうなったらとても復興はできないのではないか?
各人は別にその補償金をもらって家を建てた人も多いしそれでかえって贅沢できた人も多い、しかしもう若い人は帰らないのである。
つまり十津川村とかは何か今では考えれらないような災害の前も一致協力した村だからできたのともともとそんな贅沢な生活などしていないからできた
今のように贅沢している時代はそんなことはできない
生活のレベルも落とせない、もう津波の被害にあった何もない所を復興するより他で一からはじめた方がいいとなるのもわかる
その当時とは事情が違うからそんなことより補償金もらえる人はその金で他に移った方がいいとなる
かえって郡山市で暮らしたけどこっちの生活の方が楽しい、もう川内村には飯館村には帰りたくないという人も多くなっているだろう。
もちろん帰りたい人はいても問題は町とか村全体を復興しようとする気持がないことである。
そういう考えが起こらないことなのである。各人は思っていても町全体とか村全体で思う人はいない
でも今問題になっているのはその市町村全体を協力一致して復興させなければ帰れない住めないという現実なのである。
そのために十津川村のように何かしら犠牲も強いられるし苦労を耐える覚悟が必要になるのである。
何かそういうこともなく、ただ補償金をこれからももらって暮らせればいい、後は市であれ県であれ国であれボランティアがやるべきだ、みんな老人が多いのだからとても復興のために働くこともできないからだ。
要するに復興というとき何か復興なのか?それがはっきりしないのである。
各人が移住して復興した人も多いしそしたら荒廃した町や村を復興させる必要もないとなる
その人たちはすでに復興したからもう町や村の復興など関係ないからである。
そう割り切って土地が高くなる前に他に土地を買って家を建てた人はかえって賢いとされたのである。
もちろん十津川村ではそんなことはできないから強いられてそうなったともなる
だから比べることができないのだがやはり復興とは何なのかと考えるとき参考になる
つまり何が一番欠けているのかがここから見えてこないか?
一致協力する気持がすでになくなっていることなのである。苦労しても一致協力して復興させる気持がない、そんなことも強いられないとしたら当然もう市長村を捨てて新しい場所に移り復興した方がいいとなる
時代が違うのだから比べようがないとしても何が復興に一番欠けているのかはここから見えてこないか?
誰も苦労はしたくない、老人が多いんだから特にそうである、補償金もらって他の場所に移りやりなおす、復興しよう、すでに新築の家も建てぜいたくもできた。
もうそれで復興したのだからこれ以上被害地域とはかかわらない、人ともかかわらない
問題はもっと補償金をもらいつづけることしか交渉することしか町や村の役割はない
特に原発避難区域ではそうである。
復興復興というけどそれが何なのか?それが前にも書いたけどはっきりして復興に努力する、その目的に何もない、ただ復興復興ということだけを叫んでいるだけなのである。
要するに復興とは原発避難民だったらもっと補償金をあげろくれとなるのかもしれない、極端だけどそこにしぼられる
それは現代の社会を象徴したものでありやはり十津川村のような時代とはあまりに違ってしまったからだともなる
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