2006年09月03日

老人の話から活きた郷土史を学ぶ

 

老人の昔話は生きた歴史に直接ふれることだから小説とか教科書とかで知るより生々しい身近なものになる。郷土の歴史を知るとき老人から直接話を聞くと生きた歴史を学ぶことができる。これは認知症の人からも学ぶことができる、昔の話は覚えているからだ。そして個々に体験したことは同じ戦争でも違っていることに意味があるのだ。また棲む地域によっても人間というのはかなり違った意識を持つようになる。海に住んで漁業しているものと山で暮らしているものは生活が違っていて理解し合うことがむずかしく生活をともにすることが最初はできなかった。だから海彦と山彦とかの伝説が伝えられるようになる。

今日も家に来た女性は大変な苦労をしている。小学生くらいで母親を亡くしたことは余りにも過酷であった。田んぼの畦道を歩いて母親の墓に行って泣いていたのを近くの人が見ていてあわれんでいたという、あとから墓参りに行ったらあのとき墓で泣いていた子供だったとか言ったそうだ。その後結婚した相手が肺を半分とるような大手術をして長い間貧乏と介護に明け暮れた。そこで我が家のものが看護婦だったのでかかわったのである。その苦労は余りにも現代からみると過酷なのでなかなか実感として共感することはむずかしくなっている。そういう人から比べるとあんたの苦労なんかたいしたことがないと言われれば言葉ではなく実感としてそうなってしまう言葉の重みがある。その過酷な経験をふまえて言うからそうなるのだ。貧乏はその頃の人は等しく経験している。しかし子供で母親をなくしたり難病の病気の夫を若くして介護するという経験は余りに辛いとなる。

なんでも枯木をとって売ったというから山の生活だと枯木を薪を売ることは昔から行われていた。大原女とかは薪を頭に積んで京の町を売り歩いた。そんなこととにている。それがわずかでも現金収入になった。ともかく学校に行ってもオトノモリしているから教室に入れなかったというのも当時の学校だったのだ。学校に行けるのは恵まれていた。これは今の後進国では未だにそうだし子供は働かされている。ただ子供は山でも農家でも商家でも労働力としてあったのだ。子供は働かされていたし労働力として子供を生んだり育てることは今でも後進国では行われているのだ。

山の暮らしとかは水を運ぶにも大変だから重労働に耐える体力が女性でも必要になる。村に比べ石とかあって力自慢するのは力が必要だからだ。女性でもここの近くに一石坂(いちごくざか)とかあり一石の米を運ぶ力持ちの女性がいたというのもそういう女性が尊重されたからである。その山で生まれた女性も強きの力持ちだったともなる。一方町では水は前にも書いたように子供のとき何カ所もの家を回りいちいち礼をしてもらって歩いたというように人に気遣い生きることになる。人ととの関係で世渡り上手になることが要求されるのだ。本当の商人の暮らしはと大阪にありそこでは商人道なるものまで作り上げられ代々伝授されてきた。

郷土史というと教科書的に追求しても興味がわかない、一番いいのは老人の話をじかに聞く事である。なぜこれほど昔話が残っているのか、それは老人一人一人に違った物語があったからなのだ。町で暮らしたもの、山で暮らしたもの、海で暮らしたものの物語は違っている。これらの体験談を老人から聴くとそれは活きた歴史を学ぶ事ができる、直接聞く事でその体臭みたいなものから発せられるその人の人生をじかに感じるから貴重だとなる。これは認知症の回想法でも役に立つ、昔の話しになると覚えていて生き生きと話すからである。

幼きに母を亡くして墓に泣き薪売りにしとその女(ひと)もがな

老人の昔を聴くや虫の声
posted by 老鶯 at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
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