
飯館の秋のあわれ
飯館の奥こそあわれ
三叉の松の立ちけり
稲架たてて夫婦のまた
そこにありしな
昔冷害で苦しむ高原の寒さ
飢餓で死すと碑もあれ
虫の音かそか我は去りしも
三叉の松や古りにき飯樋に稲架(はざ)をたてにし夫婦見ゆるも
飯館は山中郷で相馬に属していたが山中郷はなくなった。飯館はかなり標高が高い高原地帯なのだ。だからここで米を作ることは容易でなかったし冷害もあって飢餓で死んだ人もいてその供養の碑が建てられている。なかなか住むには厳しいところだった。ここの風景でこの稲架(はざ)を立っているところは山中でも広々としていた。山でもこんなに広いところがあるのかと思った。日本人はとにかくいたるところを田にしてしいる。山でもそうであり思わぬところが田になっている。阿武隈山中でも小川が流れていて板橋がありそこに細道が山の中に通じている。その道をたどると何があると思うと普通畑と思うがあるのは田なのである。日本人は田を作り米を糧にして生きてきた民族なことがわかる。またそういうところは隠田(かくした)にふさわしいのだ。だから平家の落人が逃れてきて住んだとか伝説が生まれる。自転車で山形の方を旅したとき案内板があってここは何だろうと上って行ったらそこは小さな城の跡だった。土手だけが残っていた出城のようなものがあった。その山の上も平であり田になっていたのだ。こんな山の上に田があるというのが意外なのだ。田はこうして山の中に隠されているのが多いのである。平(たいら)という地名が多いがこれは山国の日本で平なところが特別貴重でありそこは畑としてより田にすることで貴重な場所だから平とつく地名が多かったのである。
飯館のこの場所は飯館の奥深さを感じた。飯館は山でもその土地はかなり広い、山国の広さというのは山にさえぎられているからわからないのだ。平坦な土地なら広いとすぐわかるけど山国はそうした広さがわかりにくい、でも阿武隈山高原でもかなり広い土地なのである。ただ阿武隈山高原には特別注目すべきものがないから特徴がないから観光的には目立たないのである。ただこれも常磐高速道ができればそれなりにドライブなどで注目されるかもしれない、会津はいろいろ注目されるのはやはり登山とかに高い鋭い山があることなのだ。阿武隈山には高い鋭い山が欠けている、登山する山がないことが魅力ないものにしている。だから特徴がなく注目されないのである。
名所はいたるところにあり実際は発見されていないだけなのだ。どこでも身近にいくらでもある。最近デジカメで写真がとれるからええ、こんないい景色あったのかと発見する場所が地方から紹介されるようになっている。ここの場所はどこなんだと行きたい人もでてくるかもしれない、地元の人さえ発見していないことがかなりあるのだ。
飯館の秋
http://www.musubu.jp/iidateakikikouhaiku.htm
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