2007年03月03日

春の日(モダンな墓)

hakabook.jpg

春日あびモダンなデザイン墓一つ

広々ととなりのまちや揚雲雀

春潮のとよみ一群れ鴎飛びまた一群の飛び来るかな


この墓は何なのだろうか?安らかにとか書いてあれば違和感はそれほどないがこれは変わりすぎていないか?墓という旧来のものからは余りにも逸脱している。墓がこれでいいのだろうか?という疑問が生じた。僧侶はこんな墓は墓ではないとなるだろう。墓はやはり墓らしい墓、墓にも威厳があっていいとかなる。今までの墓は家族の墓であり一族の墓であり・・・家の墓としてあった。これは個人墓なのかもしれない、ただこういう個性的な墓は旧来の墓とは違い明るさがある。死人の暗さがない、今までだと本当に墓は陰気なところでありそこから悪い霊がさまよいでてくる,悪い霊がつくというのもあながち否定もできない場だった。ところがこうした墓にはそういうものが全く感じられなくなる。だからいちがいに悪いとはいえないのであく。でも全部墓がこんな個性的なものになったら旧来の墓場はいう感覚はなくなってしまうだろう。墓も変化してしまっているのだ。

墓については今朝のNHKで「わたしの墓は」を読んで−日塔貞子(にっとうさだこ)を時事問題に書いた。http://musubu.jp/jijimondai35.html#haka

となりの街は原町市だったが南相馬市になった。だからとなりの市とはならない、でも感覚的には地理的には鹿島は鹿島町としてあり原町市は原町市としてあった方がわかりやすかった。市とか町とか村は歴史的なものと地理的なものの上に作られている。飯館村が飯館として残ったが飯館村として地理的歴史的なものが残されたとなる。飯館は高原であり別な一地域であり日本は山が多いから坂で区切られることが多くそこが境界になりやすいのだ。これが平坦な大陸的な所だったら地理的境界がわかりにくいから同じ地域として認識を共有できたのである。この辺も合併の名前の問題としてあったことに今日気づいたのである。
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