旅館のあったところに牛太郎さんという人のいい人がいた。夏休みになると旅館の一間を子供に解放して自由に使わせた。川が近いので川に裸になり泳いだ。あとで牛太郎さんは旅館から消えた。何かあって東京の方に出て行ってしまった。なつかいしのと親切にしてくれたからと仲間とその家を探し訪ねて行ったことがあったとか・・・・・
これだけの話なんだけどここから想像する郷土史とかもありうる、名前は意外と大事なんだよ、そもそも庶民で名前が歴史で残っているのはまれだ、万葉集でも名をなのらせからはじまるから名を知ることはその人を自分のものにする、名前を知れば結婚の約束までいたるような重要なことだった。名前も重要な歴史を知る手がかりなんだよ、牛太郎というのは一般的な名前だった。馬とか亀とかついたのも多い。馬がつくのはわかる、馬は日常的に農耕とか運搬で使われて人間と一体になって暮らしていた。牛も今のような肉牛ではない、農耕用や運搬用だった。でも今牛は牛肉として身近であっても牛と名づけたりしない、動物の名をつけたりしない、牛を飼っていても牛という名はつけない、もちろう太郎とか次郎という名もすたれた。私の親戚筋でトラさんという名前の女性がいた。この女性は勝気な人で本当にトラさんという名前がぴったりした女性だった。明治生まれで字も書けなかった。西山家のことで書いたけどこの女性は喜多方からきて機織工場していた家に後家として入った。そこでいろいろ複雑な問題を生んだがそれはさておき名は体を表すというように本当にそういうことが人間には多い、だから名前は大事なのだ。人間は名前から先にその人なりをイメ−ジするからな、トラさん、なんか怖いなとなるのが人間なんだよ、実際にこの女性の場合は名前と一致した性格の女性だった。
しかし牛太郎という名をグ−グルで調べたら
牛太郎は妓婦太郎(ぎふたろう)から変化した名前で、その遊郭に雇われている客引きの男の事でありまする。
支払いの段階で客の財布の中身が足りなかった場合に店の使用人(牛太郎と呼ばれる)が“馬”とよばれる仕事をする、つまり牛が馬になるわけで家や金を借りる相手の家まで客にくっついていくのが“付き馬”の仕事なわけです
もともとこれが名の起こりだとすると確かにそこは旅館だったから何かそっちの方の仕事もしていたのか、でも田舎の旅館だからそうでもない、牛太郎は当時かなり多くの人の名になっていたようである。私はただ牛(丑)太郎という名を聞いたとき牛のうよな人というイメ−ジになった。そこにまつわるものはわからないが何か昔の人柄のいい人を想像してしまった。何も知らないで名前だけから想像すればそうなってしまう。名前にも時代を象徴したものがある。昔の生活は子供でも近隣で温かく見守る眼があった。それはやはり生活そのものが近隣を中心になりたっていたからでもある。今は近隣はかえって疎遠になってしまった。子供は近隣の家の仕事を手伝って駄賃をもらっていた。旅館の掃除を手伝ったりうどん粉を踏んでうどん作りを手伝ったり近くの仕事が身近にみていた。
私も近くに塗屋がありその仕事ぶりを一日中見ていたり石屋の仕事を見ていた。昔はどこでも近くでの仕事を子供はつぶさに見ていてそのまねをして育ったのが普通だったのだ。そこから将来の職業につながった。たいがい親の跡を継ぐ、職を継ぐ家業を継ぐのも多かったからだ。人間はやはり身近なものから学ぶのが理想的である。今の時代は余りにも情報が多すぎる。テレビとかばかり見て情報洪水のなかにさらされると子供は混乱して情緒不安定になる。それがキレルとかに通じている。ただこういう昔のことをとやかく言ってもどうにもならないがなにかこの牛太郎さんのことを聞いてこの人と名前が何か当時ののんびりしたというか人間のぬくもりを感じたのである。現代は豊かでも何か余りにも殺伐としているし子供に近寄るものは異常者に見られ近寄ることもできなくなっているからだ。遊具も危ないからと使わせなくなったりと厳重に管理した中でしか触ることもできなくなっている。隣近所で子供をあたたかく見守るというのではなく学校という檻の中で厳重に管理するしかないとなった。そこでいじめとかいろいろな子供の問題も起きてきたのだ。つまり近隣に牛太郎さんというような人に接することはもはやないのである。
ちなみに今はそもそも旅館という言葉自体が過去の歴史になりつつある。
私は旅館で客の靴磨きさせられていたことあったよ・・・嫌だったな・・・タクシ−で乗り付ける札束をもった競馬に来た金持ちだったよ・・・・・
競馬を見ていて語られたものだが旅館は確かに今もあるがその中味はかなり変わっている。女中などという言葉も差別用語とか言ってなくなった。旅館は昔の旅籠のように死語化してくる。汽車が電車となり過去のものになったように言葉自体が死語化してゆくのも歴史だった。
ともかく郷土史とか歴史というと何かむずかしい学問を知らないとわからないと思っているがこうした卑近なことからはじめるのがいいのだ。それはみんな身近に話を聞くからそこからそれぞれの郷土史がありうるのだ。庶民の名前からだけでも相当な歴史を掘り起こせるのだ。それでも名さえ残っていないのが庶民の歴史であるのも事実である。名前もない無縁化した墓や粗末な石くれの墓がそうである。こういうのは何なのか調べようがないのだ。郷土史の範囲は広い、それは一つの家々がそもそも郷土史になっているからである。ただ最近出た「鹿島町史」とか一般的に官制の通史はつまらないのである。その資料からその人なりの人間的に解説する人が必要なのだ。そこで柳田国男とか宮本常一のような人は貴重だったとなる。学問というものではない肌で感じた庶民の生活をわかりやすく語ったものを残したからである。
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