2007年03月30日

春の町の墓所(墓に思う−続編)

春の町の墓所

誰が眠るや
町中の墓所
春の日影に
我が家の墓も
そのとなりに
名もなき石くれの墓
かすかに縁つなぐや
供え物ありぬ
手押し車を押して
墓掃除が勤めや
90過ぎし母もゆく
ここを今日も通りて
ああ 人の世の悲しさあわれ
我も身にしむるかな
人は生まれ死して忘れられる
遂には家からも世からも
切り離されるが定め
最後に世に留めしは墓のみ
今日も町の墓所の前を通い
春の日は暮れぬ


キ-ワ-ドで墓 詩ででてきたのがこの漢詩だった。

訪子陽先生墓

              良寛

古墓何處是,
春日草せんせん。
伊昔狭河側,
慕子苦往還。
舊友漸零落,
市朝幾變遷。
一世眞如夢,
囘首三十年。


墓がどこにあるかわからなくなった。こういうことはかなりあるだろう。江戸時代は墓はそんなに建てられない、庶民の墓は粗末な石くれがほとんどであり名前も定かでない、個々の墓はなくホトケッポとか村の集団墓だった。武士の墓は立派なのが多いし今でも残っている。家の墓でもこれだけ墓が建てられたのは明治以降なのだ。ほとんどの墓は明治以降である。名字をもてたのも明治以降だから墓もそれに比例して増大したのである。

舊友漸零落
市朝幾變遷


これはつくづく感じた。私の親戚すじも破産して工場がなくなった。市も余りにも変わってしまった。自分の住んでいる場所は昔を思い浮かべるものは何もない、全く変わってしまったのだ。これほどまでに変わるものかとなるがこれは60年生きればほとんどこうしたことは古来から経験していたのだ。人も死んだり移動したり変わってしまう、無常の世界である。これは老人になれば誰でも馬鹿でもそう強いられるのだ。

だからうまいこと言う人がいるもんである。なぜインタ−ネットでは普通の庶民が別に文学青年でなくても気のきいたことを言うのを発見するのか?
それは実体験しているからなのだ。認知症であれそういう人に日頃接している人はその方面の専門家に自ずからなっているのだ。私も今や認知症素人評論家みたくなってしまったことでもわかるのだ。インタ−ネットは庶民にはじめて表現の場を与えたのである。

利用者が帰りたがっているところって
そうだね。かつてあった生活、もはや今はない、帰りたくても帰れない
あの頃の生活、あの頃の家庭、あの頃の家族・・・
そして、それがまだ外にあると感じている。
自分を待っている場所があると思っている。


家族さえ家さえなくなっている。これは多くの老人が実感することである。施設に入ったりするともはや家から切り離されるからである。認知症の症状は老人に一般的に現れるものでそれが極端化したのが認知症なのだ。大きな生の喪失感では共通しているからだ。
posted by 老鶯 at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 詩全般
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