2007年04月13日

双葉の新山の富沢酒造店と夜の森の歴史

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双葉の新山の富沢酒造店と夜の森の歴史

●立派な富沢酒造店

富沢酒造店はこれは私の父が丁稚奉公していたときからあった。私の酒店は倒産したが暖簾分けして鹿島区に移りすんだ。そこには銀行もあった。銀行は当時かなりめずらしいもので庶民にはあまり縁のないものだったかもしれない、銀行に金を積むほど金をもっている庶民はなくその日暮らしの貧乏所帯が多かったからだ。だから酒でも一合とかバラ売りで樽から出して売っていて子供のとき買いにいかされたのだ。銀行の前進は「両替屋」「掛屋」「札差」「頼母子」などが江戸時代にあった。金貸し業も古くからあった。明治になって銀行の意味がわからないという問題がでてきた。銀行は資金を集める資本主義には基本的に必要なものだった。武士をやめた人に事業を起こさせるために資金を集めたとか営利的なものではなく援助的なものとしてもはじまった。

富沢という姓は代官だった富沢孫右(左)エ門がをりその系統のもので明治になり酒造りをはじめたのかもしれない。他にも酒造り店があり私の父は葛葛尾(かつろう)村の小出谷から丁稚奉公に出てきた。この小出谷は小出屋のことであり出小屋である。遠くに耕作地があり出小屋を作りそこで働いたからである。新潟の小出は大きな市の名になっている。山の暮らしでは暮らしていける人数は限られている。生活は農業が基本だからどうしても耕作地を広げねばならない、それで戦後も開墾が続けられていた。この開墾の歴史は弥生時代から戦後までつづいたから長いのである。太平洋戦争の一因も満州開拓だった。戦後のプラジル移住なども農地を求めての開墾の歴史の継続だったのだ。この新山で一緒に酒造りをした仲間と偶然に鹿島区であった。その人は兵隊から帰り小池の開拓地に入っていたのだ。小池とかじさ原など開拓地だった。夜ノ森も明治以降開拓した人が桜を植えた。鉄道が通ったところが森であり明治以降開墾されたのである。

●富沢酒造店の暖簾(のれん)分けの店

ともかく富沢酒造店は煉瓦の煙突も残り街中の大きな工場で立派なのに驚いた。相当数の人がここで働いていたのだ。そして暖簾分けされて鹿島区に移った私の父のように近くの富沢酒店もそうであった。富沢とは屋号なのである。暖簾分けとは支店だから会社名を名乗ることと同じである。今ではフランチャイズシステムの店である。

○富沢酒店
創業は昭和4年頃。初代が幼少のおり、丁稚奉公していた富沢酒造店(となり町にある酒蔵)から暖簾分けをしていただいて、この地に開業。


酒造店はどこでもそうだが街の中心的存在であり会社でありそこで働いていた人たちが多いのである。富沢酒造店は当時のままそっくり残っている。大きな蔵があり広いしなんといっても煉瓦の煙突が目立つ。これも原町区の無線塔のように町の象徴的なものだった。自分の親の生きた跡をたどるのが郷土史の基本になる。

街中に煉瓦の煙突堂々と酒屋の古し枝垂桜かな

浜街道−新山宿(地図より偲ぶ昔)
http://www.musubu.sblo.jp/article/1330221.html
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●夜の森(余の森)の由来

半谷清寿
まず、父の半谷清寿は安政5年(1858)に相馬藩小高郷大井の郷土の家に生まれ、幕末維新という激動期に育ち、福島の師範学校卒業後、小浜や二本松の小学校で教べんをとるその後、郷里小高に戻り21歳で酒造業を始める。
  明治26年、日本鉄道の磐城線(今の常磐線)の建設が始まると、世情に関心のうすい農民からの土地の買収が次々に行われ、これに義憤を感じた清寿は激しい抗議運動を展開、結果的には新価格での買収交渉が実現したが、反対派の告訴により8ヶ月も監獄生活を送ることになった。

http://www.futaba.ne.jp/~wasse/fumi/sakura004.htm

これと同じことが西部開拓でもあった。鉄道が来た時、鉄道会社に安く土地をかいたたかれるので銃で抵抗した牧場主の物語である。鉄道に関しても同じような歴史が外国でも起こり日本でも起こっていたのだ。

夜の森が余の森であり相馬藩主が余の森だということが名前の起こりである。ここに大きな森があった。その森はまだ開墾されていなったのだ。つまり日本にはこうして開墾されない森がまだ広がっていた。それが明治以降開墾されていった。夜の森(余の森)という地名はその証しである。この辺は相馬藩と磐城平藩との境で特に余の森と主張されたのである。

夜の森は開墾されて満開の桜に代わる街となりけり
posted by 老鶯 at 11:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
この記事へのコメント
この度は多大なる被害をうけお見舞い申し上げます。社長並びに従業員さんが頑張ってる姿をTVで拝見いたしました。 お酒が出荷出来るようになりました 連絡をください
少しでも協力いたします おいしいお酒を作ってください 楽しみに待ってます。また連絡をお待ちします
Posted by 小谷野 孝 at 2011年06月06日 18:54

>命からがら持ち出した酵母が・・・

酒造りには酵母が大事なんですね

それさえあれば再生できるとか宝もののように大事にしていました、あれは浪江の請戸の
酒屋でした、建物や道具より酵母が大事なこと知りました、

私の父親富沢酒店の隣の酒屋で働いていました、戦前ですがいろいろ家族から話を聞いたので書きました。その酒屋から暖簾分けして
鹿島に移ったから双葉町の新山という名や
長塚という名を良く耳にしていたのです

自分の父親のことですからそこに物語があるんです

ただ今いろいろ原発や津波のことで書いて
いますし忙しいのでできないです

軽いですが病気でもあるので他人の応援は
なかなかできないです

いろいろなことがありすぎるんですよ
みんなが大変な時期ですから・・・
Posted by プログ主(小林) at 2011年06月10日 22:02
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