2007年05月02日

鶯(飯館へ)

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朝明けて鶯多し山の村

春耕の女性そちこち山の村

耕しに一汗かくや辛夷咲く


飯館に行ったら鶯の声があちらこちらから聞こえた。鶯だけがにぎやかだった。やはり山だと鶯が住みやすいから数が多い。人には住みにくい所でも野鳥にとっては住みやすいところなのだ。飯館も相当に広い。家は点々と隠されるようにある。塩の道を行き飯館から川俣の山木屋までゆくのに遠かった。満ちていたのは鶯の声であった。他に女性の人が結構畑で耕していた。それなりにまだ若い人もいた。やはり山でも若い人がいると活気がでてくる。ネパ−ルの山では若い人が畑に多かった。まだ万葉時代のような光景がネパ−ルなどにはあるのだ。村は若い人が中心の世界なのである。過疎の世界とは違う。

日本だってかつては山村はにぎわっていたのだ。山での暮らしそこで働き暮らすことも充実感がある。それは都会や工場で働くのとは別な自然のなかで味わう充実感である。実際そこで暮らすことは容易でなくてもやはり都会で得られないものが得られることも確かなのだ。ただ山村には自分自身は暮らせない、車がないからだめなのだ。車がないと山ではもはや暮らせないようになってしまったからだ。
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