満州里の灯
満州里 ともる灯遠き 夏の夕暮
茫々たる 暁の荒野を車窓に見つ
我一度 平和の日、ロシアの国境を越えぬ
満州里 まことに遠き街なれ、鉄道は通じて
ロシアの人の ここに行き交い 買い物をする
満州里 かつて日本の国たりし 悲惨なる歴史
阿鼻叫喚はここに 木霊して 地獄絵図を作りしを
平和なる日 我は訪れて 何事もなしも
ただ街の灯の 心に残り 旅の回想にふけりぬ
満州里というと実際は相当な遠さである。こんなところまで日本人が行ったということは信じられないしまたロシアまで行ったことも信じられない、でも最近会津の酒造りの家にシベリアで死んだ父親の遺骨が帰ってきた。その遺骨をうやうやしく家族が受け取っているのをテレビでみた。40才で戦死したので子供も家業を受け継ぎ生きている。その頃若い人で戦地にゆく人がいなくなり40才くらいでも戦地に招集された。戦争のことはいろいろあるけど戦争自体まだ終わっていないことがこれでもわかるのだ。ウクライナには実際に日本兵の生き残りがいて墓参りに来たことでもわかる。
日本の敗戦が見え始めると満州人の反乱で放火・掠奪・銃殺、燃える家の前で満州人に惨殺された日本人が木に吊るされたり、首が曝されたりで町は騒然となった。
http://www1.odn.ne.jp/~cby36330/sakamoto%20page-1.htm
ここには余りにも悲惨な歴史が記された。それは現代からは想像を絶する世界である。私の家族も従軍看護婦で戦争終わると「日本人バカヤロウ」と地元の人に怒鳴られて恐怖のうちに帰ってきた。トラックにのせられて日本の旗の下をくぐらせられてそう言われたとかこれなどはまだいい方であり満州は悲惨だった。戦争が負けるということはこういうことなのだ。原爆もしょうがないという発言も物議をかもしだしているが敗戦というのは昔から悲惨なものになるのだ。戦争とは人間の一番残酷な面が露骨にでてしまうのである。歴史をふりかえるとき平和なとき国境を何事もなく越えてただ満州里の灯を見て帰ってきたことは幸福だったとなる。国境の街はどこも歴史があるから魅力ある。
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