2007年08月09日

死者が還るべき場所(二人の死者−続)


知らざりき施設に十年その霊の家に還りて故郷の墓に

 

この歌の最後に「草枕 旅宿りせす 古思ひて」と書いてあります。その土地に宿るというのは、ただそこで泊まるということではないのです。その土地には、土地のすべてを支配するところの国津霊(くにつたま)、土地の霊があります。その土地の霊と親しんで、そしてその土地の霊の支配することについて何か願い事があるというときに、旅宿りをするのです
http://info.pref.fukui.jp/syougak/kouen/zennbun.htm

 
施設とか病院で死ぬのが今は大半である。施設に十年もいて施設で死ぬというのも現代的である。病院で死ぬにしても期間は今は短い、家でどうにもならず病院でみてもらう。前は病院に放置したことがあった。今は病院から追い出される。でも家で死ぬ人は少ない、10年後に施設で死んで家に帰ってきたというのもやはり最後は施設で死んでも病院で死んでも家に帰る・・・そしてその土地の墓に埋まる。そこが永久の霊の鎮まる場所となるのか?万葉時代は土地と離れられず人は生きていたからこうもなる。こんなふうに深い思いで旅する人は今はいない、旅はただ通りすぎるだけにすぎないのが多い。死ぬというときその死者の霊と土地は結びつく、これは原始的人間の観念としてそうなった。死んだら肉体は消えるが霊はどこかに存在していると感じるからその霊を鎮めるとか供養するとかの場が必要になったのだ。霊は空中や水中や海中に消えたとしてもやはり死者の宿る場所として墓や社や具体的な土地を必要とする。依代が必要となる。そこに死者の霊などないにしてもそう思うのが自然である。施設で死ぬ人が多くなるとしても施設は家とは違い継続がない、江戸時代にはホトケッポとかありそれは村の共同墓地だった。村で暮らしたものは村のものと一緒に土と化す、そこに霊は休まるということは自然だとなる。靖国問題が死者の問題であるが普通の無数の死者の問題とも関係しているのだ。霊をいかに鎮めるかということで共通しているのである。
 
●柿本人麻呂の挽歌 
 
秋山の 黄葉(もみぢ)を茂み 惑ひぬる 妹(いも)を求めむ 山道(やまじ)知らずも 柿本人麻呂

※万葉の時代、死者の霊は山で生活すると考えられていた。人麻呂は恋しさから彼女の故郷の里山に入って、この切なくも美しい歌を詠んだ
 
死者の霊を求めて山道に迷ってしまったというのもリアリティがある。死者を求めてももはや会えないか深い山の沈黙がありただ死者を求めても求めても会えない山路に迷うだけであるとなる。これは死んだ人を求める秀歌となるのがわかる。愛する人はもはやいくら逢おうとしても会えない、誰も会える道を知ることはもはやない、道に迷うだけなのである。そもそも死者に会える道はないのである。
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