2007年08月11日

蚕の話(郷土史は祖父母の話から興味をもつ)


蚕の話(郷土史は祖父母の話から興味をもつ)

 
糸取り10年くらいしていた母の話で冗談だと思ったのが昼休み遊びたくて早食いした人が病気で死んだという話である。30分くらいしか休みがないとしたら食事して終わりで休むことができない、もちろん遊ぶこともできない、これは今でも流れ作業などであるから冗談ではない、流れ作業は自分も何度もしたことがあり単調であり機械になることである。だから休み時間はロボットの時間から解放されることだった。今でも過労死があるのだから労働は過酷であり左翼からみると搾取になる。
 
彼女たちは、家へ金を持ち帰って親の喜ぶ顔をみて満足したものが多かった。(女工哀史)

母もそうであった。親のために働いたのである。現物で支給されたこともあった。米俵十俵とかで支払われた。やっぱり同じように親がそれで喜んだのである。今でも中国やインドの貧しい国では子供は労働力であり両親のために働かせられる。今は両親は子供のために働かされるのだから余りに違っている。そもそもこの蚕の業は延々とつづけられてきた。こんな漢詩を発見した。
ョ山陽は幼名:久太郎(ひさたろう)甲州道を回り広島に帰る時に作った。
 山驛蚕為業 山駅蚕を業となし。
無家不種桑 家として桑を種(う)えざるなし。
憐看襤褸女 憐れみ看る襤褸(らんる)の女。
績織為誰忙 績織、誰がために忙しきや。

家として桑を種(う)えざるなし・・・現金収入として不可欠だった。績織、誰がために忙しきや・・・これは家族のためであり明治になると国家のためになった。憐れみ看る襤褸(らんる)の女・・・自分で織った絹織物は着ることができず売るためのものである。貧しい国では今でもそうである。豊かな国に輸出するために作っている。
明治には富国強兵と殖産興業の殖産は製糸であり輸出の60パ−セントにもなっていた。これによって富国強兵の軍備をまかなうことができた。明治になると家族−国家が強力に結びつき天皇が家族国家の頂点としてモラルが形成された。江戸時代は国家は地方の藩であり国家とは結びつかなかった。

この蚕の歴史は製糸の歴史は長い、天皇家では今も蚕をしているのはそのためである。田植えもしている。米と蚕は古代から日本を支える産業だった。
 
斎藤茂吉の歌の
 
朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車はしるなり

桑の香の青くただよう朝明けに 堪えがたければ母呼びにけり
 
桑の葉は母をもイメ−ジしている、桑の葉を籠に刈り取る母の姿、桑の葉は単なる桑の葉ではない、そこにはいつも母の姿が浮かんで来る母の姿があった。鉄道ができて桑の葉が蒸気機関車の煙でだいなしにするというのは都市伝説であった。鉄道はそんな広範囲に煙をまきちらさない、工場の煙とは違っていた。鉄道に対する無知から起きた誇大妄想だった。鉄道が通っても蚕は続けられていたからだ。
 
郷土史はまず祖父とか祖母の話を聞くと興味をもつ、それが何かつまらないようなものええ、そんなことがあるのかと今では思うことがかなりある。製糸工場で働いて休み時間に遊びたくて早食いして死んだという話もその一つである。こういうことはいくらでもあるのだ。なぜそんなことで死ぬのかという疑問が今になるとでてくる。でも過酷な労働は今でも過労死としてあるようにつづいているから時代が変わっても同じことはあるから理解できる。
posted by 老鶯 at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
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