2007年08月12日

お盆に思ったこと(墓のあり場所はどこに−靖国問題の深層)


お盆に思ったこと(墓のあり場所はどこに−靖国問題の深層)

 

時事問題の深層36へ
http://musubu.jp/jijimondai36.html#obon

 
人間は死ぬと焼かれて骨になる。ではその骨をどこに置くのかということで問題になる。骨の置き場所として墓が生まれた。死んでも骨が残るからお釈迦様の骨があるとかでそこに大寺院が立ったりヨ−ロッパでも聖人の骨が大事にされそこに大教会が建てられることになった。人間はあくまでも目に見えるものにこだわる。死んで目に見えなくなっても骨があるじゃないかとその骨を神聖視するのである。これは一般の人でも死んでも骨は残るからその骨の置き場所で問題がおきて来るのだ。
 
死んだら土になるというときはこれは故郷の土に帰るというのが自然だとなる。一方娘、息子が東京にいるし東京で暮らしたとなると墓は近くがいいから東京にもって帰ることになった。これは土地(村)でともに生活したから村の共同の土地に葬り供養するというのとは違う。土地の関係より人の関係が重要視されてそうなった。日本人は人の関係よりその姓が土地(村)から起こっているように土地の共同体としての関係が深かった。だから土地に霊(たま)があるというのは日本人の心性に根強く残ってきたしそれが靖国問題とも死者の扱い方で共通性があった。お盆というのは死者を迎えるということで極めて日本人的心性に根ざしたものだったのである。
posted by 老鶯 at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/17459711
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック