2007年09月19日

陸奥の真野の草原の歌の謎が解けた!

 

陸奥の真野の草原の歌の謎が解けた
http://musubu.jp/manokayagimotoketa.html

 
一年間くらい私の研究テ−マだった陸奥の真野の草原の歌の謎解きのつづきをまた書いた。いろいろな本などに書いたものをつなぎあわせた感じもするが草原(かやはら)は古代の郷名をたどると伽耶に通じていた。大草は大伽耶であり単なるクサやカヤではないのだ。草原郷とある所は伽耶と関係していた。それは出雲の意宇(オウ)郡の意宇氏の移動がありこれには宗像氏とか安曇族の海人族がともなって移動してきた。草原とあるところはまた産鉄集団の移動であり産鉄が行われたところでもありまたカヤが入江とすると港と関係があり武蔵国の草原が大和王権の大伴氏が来る前に草原は港の地名としてあった。そのあとに大伴系統の真野の地名を常陸から移動してもってきたのである。草原は単なる自然の萱などではない、壮大な伽耶に連なる、大和の建国に連なるなかでもたらされた地名だったのだ。自然的地名ではない、その背後に大和建国の歴史が埋もれていたのである。
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