2007年12月01日

冬薊(バス停地名学)


山の里バス停一つ冬薊


立目石バス停ありぬ冬薊

樅の木に一人おりにき冬田かな

この辺ではバスのなかを見るが乗っている人がいない、一人くらいいてもいいと思うがいないのである。それではなぜ走っているのか?市の援助がでて走っている。これもかなり無駄である。電車がない川俣辺りはバスは通勤用であり生きている。バス停−のキ-ワ-ドで調べたら「バス停地名学のすすめ 」こんなのがでてきた、インタ−ネットには物好きな人がいる。バス停は本当に地名を残すためにあるようにさえ思う。ぽつんと誰も乗らないのにバス停には地名が記されているからそこがどういう場所か示される。普通は地名はわかりにくいがバス停だと小地域の地名が記されるから興味をもつのだ。
金井窪橋、前田橋、他領橋、御嶽橋、高松橋、長崎橋、霜田橋、八幡橋、羽黒橋など、橋名のプレートがあたかも失われた地名の墓標でもあるかのように続いています
東京辺りだと元の地名の状態が建物が密集してわからなくなっているから興味をあまりもてない、その謂われもわかりにくいのだ。地名に興味を持つことはその土地に愛着をもつことなのだ。東京では小さな川に多くの橋がかかっていてその一つ一つに名前があるから昔はその橋は大事な生活の場だったのだ。縦横に堀りが通っていたから橋も多かったのである。それも短い橋なのである。でもそこを毎日行き来して暮らしていた人がいたのである。だから何かしらその名前にも意味があるのだ。他領橋・・・他の領地へ行く橋となっている。これも領地と関係していた。橲原(じさばら)の目立った石の名前がわからないときそこにバス停があり立目石とあるから名前がわかる。名前がわかることにより親しみがでてくる。その石と名前があっていると記憶される。旅では意外と忘れるから地名でも覚えるとあとで思い出すのである。

バス停地名学のすすめ
http://plaza.rakuten.co.jp/zoshigayasanjin/

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