2016年03月23日

2016変化する相馬市南相馬市(写真)


2016変化する相馬市南相馬市(写真)

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津波の跡の磯部のソーラーパネル

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磯部水産加工場

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美里(南相馬市鹿島区)

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絆診療所



相馬市松川浦に新しい水産加工場ができた。ただまだ放射能汚染でこれからどうなるのか、でも新しい建物が建つことがこの辺は多い
磯部は一面がソーラーパネルになった。あれだけの大規模なソーラーパネルは見たことがない、あそこの土地利用はソーラーパネルしかなかったのだろう
もう何にも使えなくなった。山の奥の方にもソーラーパネルがありそれが景観を乱しているので嫌なのである。

相馬市と南相馬市は違っている。相馬市は普通に田んぼもあり米も作っていたから変化がなかった。
ただ津波の被害は大きかったのでその変化は激しかった。
この辺には百軒くらい新しい家が建った、結構いい家である。
値段は土地付きでいくらくらいしたのか?5千万くらいはしただろう。
土地が高くなったからである。ここに家を建てられたのは裕福だったのだろう。
ただ津波の被害にあった人は借金して建てたとういうからみんながそうとはならないだろう。
ただ外部からも原発避難区域の人も入ってきているからいろいろだろう
ここは本当に新しい町となってしまったのである。
美里団地などというのもまさに東京とかとにているのである。


南相馬市の鹿島区では「絆診療所」/か新しくできた。これは小高の医者である。
前が日当たりが良くて広いからいい感じである。
ここでは開業医は二軒しかなかった。一人は年取っていた。
でも今度前に整形外科をしていた所が「心療内科」になるという
医院としてすぐに使えるからいい、雲雀が原の精神病院の医者がここで開業するという
心療内科というと何かこの辺ではめずらしい、原町にはあった。
家族が認知症になりみてもらった。心療内科というのは現代的なものなのだろう。
ただこういう専門医院が一万くらいの町にてきるのはめずらしいと思った。

この辺は変わり方がとにかく激しい、ただ人間の社会は常に変わっているから変わるのだけど津波とが原発事故はその辺かを加速したのである。


タグ:磯部
posted by 天華 at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係
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