2008年02月16日

北風(キタ)唸る−残る雪(真野ダムへ)

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北風(キタ)唸る農家の古りて蔵二つ


冬日さし庭の古木や牛の啼く


冬柳昔地蔵が頼りかな



北風(キタ)唸る重みを増して岩数個

大岩にからまる蔦や残る雪

北風(キタ)唸り絡まる蔦や親子岩

残る雪材木積み出す山の村

凄まじく山とよもして北風(キタ)唸る


大岩に残れる雪や渓流の朝のひびきて北風唸りぬ


山陰に厚く積もりぬ残る雪北風唸る大倉の里


飯館まで行こうとしたが真野川から真野ダムの方に行ったが風が強くダムまで行ってひきかえした。山はごうごうと北風が恐ろしいほどもの凄く唸っていた。山陰にはまだ厚く雪が残っていた。今年は寒いからこの辺でも雪が残っていた。飯館はさらに高いから雪が残っている。人間の眼は今回も良く見ていないものだと発見した。デジカメでとった写真から俳句を作ったからだ。蔦がからまっているのを写真で発見したからだ。写真で見ないとわからなかった。そして前に老子石と名づけた隣に小さな岩があった。これもわからなかった。それで今度は親子岩と名づけたのである。こういう名づけ方は一般的である。兄弟岩などもそうである。親子杉とかもある。大倉の村はダムの底に沈んだ。今残っているのはその頃からあった家だが本当の部落はダムの底に沈み村は実際消失した。葉山祭りとか有名だったがそれも消失した。やはりダムは自然を破壊するし村も破壊したのである。大倉は上萱(うえがや)とか違い古い村だったのである。だから葉山祭りなどが残っていたのである。祭りが残されているかいないかでその村の古さがわかる。意外と山の中でも戦後開拓に入ったとか新しい場合があるのでまぎらわしいのである。村の地蔵は昔は病気になったら地蔵に祈るくらいしか直す方法もなかった。だから地蔵に眼や耳や鼻や腰を直す地蔵とかいろいろあった。地蔵も専門化していたのである。その地蔵は今ではまとめて集められて記念になっているだけである。

 
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