2008年04月10日

福山城の桜(瀬戸内海の船運と結びついていた城)


福山城の桜(瀬戸内海の船運と結びついていた城)


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福山城天守に人や花盛り

鞆ノ浦船の通い路春の星

(倉敷)
万能倉長者御門や春の街


曙町御船新涯春の旅

天女浜潮見東御所春の海

駅おりて福山城の桜かな瀬戸内海と通ず栄いなれ

ひた走る電車の窓に桜かな南の栄いこの一時に

海開け春山つづき桜咲き船も行き交い電車も走りぬ

(尾道)
船行きて三重塔や尾道に瀬戸内海の春の夕暮  


   福山城から南東に流れる運河「入川」は瀬戸内海まで通じる運河で明治時代に山陽鉄道が建設されるまで物流の中心となっていた。城下にはこの運河に接して藩の船を泊める「舟入」があり、城下を出た場所にも係留場があった
 

ここに詳しい地図
http://yagumo2.hp.infoseek.co.jp/fukuyamasiro.htm

 
伊沢蘭軒(森鴎外)
 

此辺堤上より福山城を松山の間に望む。城楼は林標に突兀たり。四里今津駅なり。高洲をへて示嶺(ばうしれい)にいたる。(一に坊寺(ばうじ)といひ一に牡牛といふ。)一本榎より此に至て我藩知に属す。土地清灑田野開闢溝渠相達して今年の旱(ひでり)に逢ふといへども田水乏きことなし。嶺を下て二里尾道駅なり。此駅海に浜して商賈富有諸州の船舸来て輻湊する地。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2084_17397.html

 

福山にとって鞆とは
http://pub.ne.jp/ANKO/?entry_id=1157975


福山城が印象に残ったのは新幹線の駅であり駅をおりてすぐ福山城を見れるからである。立派な石垣に沿って新幹線が走るのはめずらしい。現代の旅はまず汽車→電車からはじまる。だから駅が重要な旅の出口であり入口になる。江戸時代なら関所になるが現代は駅なのである。最近は車時代だから道の駅が旅の駅として重要になってきているのも交通で旅は変わる。そこで旅が昔と違い表面的な点な旅になってしまった。電車の駅から駅の旅であり新幹線になったらそれこそ普通車の駅から駅の旅もなくなっているのだ。福山城は立派な城であり桜が満開のとき見たから印象深い、大阪から南は大きな城が多い、その代表が姫路城でありこれも車窓から眺めたときは感激だった。瀬戸内海沿岸で盲点となっているのは電車の旅だといつも瀬戸内海が見えるわけではない。海が見えない場合も多い、福山城では海のことが全くわからなかった。城に上って海が見えれば海を視野にした感想があるのだが海が見えないと海と関係ないように思ってしまう。瀬戸内海や四国だとじかに海とつながっている城がかなりある。明石城や今治城や高松城は海がすぐ前であり実際に海から船が入る施設を備えていたのである。
 
東北にはこういう城がないから直観的ににわかりにくい、瀬戸内海の船運がバックボ−ンとなって城を支えていたことがわかりにくいのだ。尾道の三重塔も船を使いもうけた商人によって寄進されり船と関係することが多いのだ。これが船の旅だったらわかりやい。福山城には城に通じる運河があり城にじかに船が入るようになっていた。船町、船入町、御船町とかあるのもそのためである。船入寺もあり寺町に船で入っていたのである。そのあと運河は埋め立てられてわからなくなった。江戸城も運河で結ばれていたから船運は交通の主役だった。それが現代では実感としてわからないから歴史がわかりにくくなっているのだ。鞆ノ浦も福山と関係あることが旅してわからなかった。電車だと線と点の旅になり面の旅ができなくなるのだ。だから面の旅はあとから想像して旅する他ないのだ。インタ−ネットがその想像の旅をするのにいいのである。ただその前に実地に一回くらい現場に行っていないとこの想像の旅もむずかしいのである。旅とは旅する前−旅している時−旅をふりかえる−この三つがあって旅は完成する。その最後の完成をしている。それでインタ−ネットの情報が役に立つのである。

 
海よりの風に吹かれて満開の桜に人や福山城かな
 

海に出て瀬戸内海を見て海の風に吹かれて福山城を見れば感慨は違ったものとなっていたのだ。電車で来ておりたら海の視点がないからである。電車の旅は点(駅)と線(線路)だけになりやすいのである。だから面を理解することがぬけてしまうのだ。
 
地名的にも倉敷も船運で栄い運河の街なように「万能倉長者御門や春の街」その繁栄が地名からも想像できるのだ。他に入野とか海田駅とかあるのも瀬戸内海らしい、というのは海があり田があり入野も山を分け入る日本的な風景だからだ。だから万葉集にも入野の歌が残っている。ともかくみちのくから大阪であれ瀬戸内海となると実に遠いのだ。西とみちのくではこれも相当な経済力の差がある。豪商は西に集中している。みちのくではまれなのはやはり船運の交通の要衝にならなかったからである。

 


 

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