2008年05月23日

麦のつく地名の背景(麦と米は併存していた)(地名談義)


 

麦のつく地名の背景(麦と米は併存していた)(地名談義)
http://musubu.jp/somagappeijiji.htm#mugi

 
田麦、麦田という地名になっているのは田と麦は一体として栽培されていたからである。私の子供の頃麦飯だった。江戸時代になると麦の方が米より多くまじっていた。麦は生活に欠かせないものだった。今でもネパ−ルとか後進地域では麦と田が並んで栽培されている。その光景は戦後まもなくもつづいていたのだ。麦は輸入されるようになり日本から麦の畑は消えた。麦はエジプト時代からパンを作るものとして栽培されていたから歴史も古い、主な文明の発祥地も黄河であれ、メソポタミアであれ麦の栽培で栄えたのである。米より麦の文明が先にあったのだ。今回なぜ麦に注目したかというと丸森に四重麦(よえむぎ)という地名がありこれは何だろうと思い麦の地名に注目した。田麦俣とかには実際に行ったことがありその名前は記憶していた。地名とともにその場所は記録されることが多いのだ。そこは街道の要所であり今でも立派な茅葺きの家が残っているのである。俳句などでもえと時代になると広範囲な当時の生活を再現して読まないと理解できない、単なる俳句だけではない、その背景を知らないと理解できない、俳句だけが孤立してありえない、江戸時代の全体の生活の中で詠まれたものだからそうなる。地名もやはり田と麦が欠かせないものであり併存していたから田麦と麦田という地名が極自然に生まれたのである。
posted by 老鶯 at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連
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