2008年06月02日

南相馬市原町の病院に泊まり短歌二十首 (無常は人間の定め)

 
南相馬市原町の病院に泊まり短歌二十首
無常は人間の定め
 
病院にとも過ごす夜五月闇

葉桜の雨ぬれ静か病院になお命の息づきにけり

原町の街の灯あわれ病院に介護のために泊まる夜かな

病院に介護のために泊まりけり旅にあらねどともに過ごす夜

我が旅はなお終わらざり病院も旅の宿かな雨しととふる

いづくにもいちやのたびの宿にあれ病院に出合い別る人かな

原町の病院にあればここに生きここに死す人我思うかな

人の死す所に思い残るかな家に帰れず原町の灯の見ゆ

原町の病院にありてその近く桜井古墳の主は誰かな

命の灯いまだ消えざるよりあいぬ縁(えにし)の人の尊きろかも

人間の命は数字に現るや目をこらしつつ数字を追いぬ

様々の生を織りなし母方の墓ある街や我が泊まるかな

あわれなる話を聞きぬ幾度も悲しからずや母のはらから

夜の更けて病院の窓に街の灯や原町あわれ患者と眠りぬ

標とて母方の墓ある街や原町に泊まりその墓思いぬ

病院に隣の街も異境なれ家に帰れず半年過ぎぬ

原町もここに死すれば異境なれ家に帰れぬ人こそあわれ

雨にしむ街の灯見つつ人生はいづこも異境旅にしあれば

この世には誠の家のありにしや人は変わりて時過ぎにしを

80と60の差は大きかな60はなお若くありしと

道の駅南相馬や薔薇の花にぎわいけるや病人とあり

トラックの運転手近くの湯に入り思いばあわれ兄は事故に死す

 
病院というと闇があっているのか?雨の日がつづき家族控室という所に二日泊まった。病院は死ととなりあわせの場所だから特殊である。その病院に臨終ではなかったが姉のことで縁ある人が集まった。前もそういうことがあったがその時は病院には泊まっていなかった。病院のことがよくわからなかったためである。その家族の控室に泊まりつくづく原町という街が自分にとってもより身近に感じた。つくづく人間はその街に住むのとただ買い物だけにきたりするものとは違うものだと思った。すぐ隣の街でも村でもそこに一日でも泊まったりするとかなり違ったものに見える。隣の街でも村でも異境になるのだ。日本はまた隣が山でさえぎられることが多いから山が異なる境になりやすい、異境になりやすいのだ。あの一つ山越えたところが家なのに病院に半年もいるとこんなに遠くなるのかという不思議をいつも感じていた。病気とは特殊なことでありそれが遠くさせているのだがそれにしてもすぐ近くなのにかんなに遠くなり原町の灯を見つつ病院に二日泊まった経験は本当に不思議だった。遠い国の旅でならそういうことがある。しかしこんな近くでこういう経験するとは思いもよらなかった。つくづく人間は身近でもその境涯が変わったりすると普通では感じないことを感じるものだと思った。それは我が家の特殊な事情もあったがここ二年半は常にそうだったのだ。
 
短歌にもあるように私の家族と原町の縁はそもそも母方の実家の墓があるのだから縁が深い場所だった。でも私自身はそうは思っていなかった。今回病院に泊まってつくづく原町の街の灯をながめ原町のことを思った。そこには確かに母方の墓があるから縁が深い、それでいろいろ思うことがあった。ただ原町も異境であることもつくづく思った。いや人間はどこでも異境である。異邦人であるというのも真実である。だから常住旅人になる。まず隣の街や村に泊まることが旅になるとは考えもしなかった。でも隣の街も村も異境なのである。原町の病院で死ねばそこは異境で死ぬということである。そして人の生まれた所と死んだ所は一番大事である。歴史的事件でも死んだ場所が記念になるし生まれた場所もそうである。英雄でも聖人でも生まれた場所は死んだ場所が記念の場所となる。平凡人でもやはり生まれた場所と死んだ場所は記念となる。ただ隣の街の病院で死すことがこれほど家が遠くなり異境となるとは思いもよらなかった。隣の街でも村でもこれほど遠く感じられる、そしてそこは異境なのである。
 
前にも書いてきたけど同じ狭い村でも町内でも離れて別に家をもって暮らしてみると感覚的にかなり違ったものとなる。これも不思議な経験だった。人間は住む場所を変えるだけ心境の変化が大きいのだ。境遇の変化、時間、場所の変化は人間に大きく影響する、同じ場所にいても時間がたつと年とると別なものになってしまう。全然違ったものとして同じ場所も見えてくる不思議があるのだ。とにかく人間は無常だというときすべて常住なことはない、それは普通に平凡に暮らす人にとってもそうである。無常だというとき年をとり別離があり病気があり有為転変があり死がありと無常が定めである。人間自体が変化してやまないものである。死が最大の変化であり死はまねがれないからである。同じ場所に住んでも隣の村に街の病院にあろうがやはり無常をしる。旅は別に外国に行ってもあるわけではなかった。隣の村や街へゆくことも旅でありえたのである。これは意外な経験であり人間は無常だから常に意外な経験をすることを強いられているのである。平凡だといっても病気や死によって非日常の経験を強いられることになる。それが人間の定めである。病院でも施設でも帰宅願望があるけど実際無常のこの世で家は喪失している、世代が変わっても老人が思っている家はすでにないのである。家族はなくなっているのだ。家に帰りたいというとき、それは過去の自分が元気だったころの家でありそれはすでにないのである。


 

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