義援金が知らずに振り込まれていた
(知らないから意識もしないし感謝もしない)
給料日に現金を準備する手間がかかりますが、やはり現金だとありがたみが違います。会社に対してもそうですが、家に帰って女房に明細書の紙切れ1枚渡すのと、現金を渡すのとでは、重みが違うと思います。
義援金が最初の時一回ははっきり覚えている。みんな体育館に集められて支給された。
それは振り込まれた。5万だったことを覚えている。
この辺ではこうした義援金でも賠償金問題でも金がいろいろ支払われている。
その後も口座にふりこまれていたのだが所帯主の口座に振り込まれていたので知らなかった。
その所帯主が死んだので自分に連絡の書面が市役所から送られてきた。
それで今回が5回目だということに全くきづいていなかった。
東電の賠償金は申請して額が決まると東電で振り込みましたと連絡のハガキが来ていた。たいがい送金しても送ったとメールであれ電話で連絡する
それが全くなかったらもらったことさえわからなかった。
何か現代はそういうことが多い、金というものが数字としてやりとりされているから金がどういうふうに動いているのかも実感として自覚できないのである。
遺産でも受け継ぐとき様々な所に貯金してありわかりにくいのである。
それで死んでから二年とかすぎてから貯金があったと連絡がありわかったこともある。
親が死んだときこの財産の整理が一番の問題になるのである。
蔵の金庫にでも小判で残していればわかりやすいが今はみんな数字化しているからわかりにくいのである。
給料にしても現金で手渡しされていた時代がありそれだとありがたみがあるというのは数字としてふたこまれるとそういう感覚がなくなる
直接金を渡されればその金を実感するからありがとうとかなる
金が数字化すると例えば銀行員が不正して貯金を数字を操作してごまかしてもわからない時があるだろう。そんなに積んでいる人がチェックしていないからである。
だから銀行員はごまかしても罪の意識がもてないということがあるかもしれない。
それはただ盗んだというより数字を操作したという感覚しかないからである。
前にリンゴ一個盗むとなぜ罪悪感があれほど感じるのかということを書いた
その一個のリンゴからはいろいろいイメージするからである。
その作った人や運んだ人や売る人などその一個のリンゴからイメージする
物が金に変わり数字化するとそういうことがないのである。
小判でも盗めばそういうことはない、その金を意識する、紙幣でもそういう感覚はある。数字にはそういう具体的なものを通して実感できないから違っている
義援金というのは賠償金とか補償金とは違う。善意の金でありそれは税金とも違うだろう原発に対する国の補償金は税金である、義援金は善意の金が集まったものである。
国から出ている金、東電から出ている金、義援金に分かれる
今回一番金を出しているのは国である。東電の賠償金は国が肩代わりしている、ということはそれは国民の税金でまかなわれている
国の政策で原発を作ったのだから国民の責任にもなっているからである。
義援金はその税金とも違うが何か混同しやすいのである。
その内訳を見ると会社が集めた金が多いのである。今の社会は個人的には大きな金は集まらない、でも個人の善意の金は一番価値あるかもしれない
なぜなら自分のことを考えてみると個人になると寄付金を出したくないことでもわかる
千円でも大きい金になるからだ。
ところが税金とかなると国でも湯水のように使う、それで無駄が多いと批判される
税金は国に義務として国民が苦労して治めたものである、だからその使い道も厳しく監視されるものなのだがそれがうまくいかない、予算は何か無駄なものに使われる
原発の賠償金に関してはこれは当然であり権利であり何ら感謝するべきものでもない、国からであり東電からでありそう思っている。そこに遠慮はいらないのである。
たから賠償金をいくらでももらえるだけもらうべきでありそこに遠慮はないのである。
ただあまりにも高額なものを要求すると国民の税金から払うのだからそんなに払っていいのかと批判されるので注意すべきだと言った。
税金が国民の金だとしたらいくら被害があっても限りなく払うようなことには怒るだろうそれで福島県は全国からイメージ悪くなったのである。
ともかく義援金というのは津波の被害者にも支給されたがこれは原発の賠償金とは違う。国民の善意の金でありその金で被害した人々を助ける金であるから被害者からするとありがたい金となり感謝する金になる
何かその相違を大きいような気がするがこの区別がはっきりしていない面もある
原発事故での賠償金は義援金とは違うので余計にこの辺では混同する
義援金は権利としてもらっているのではない、人々の善意の金であり感謝すべき金なのである。
ただ今回最初は5万もらってもそさなりに意識して応援してくれる人がいるんだなと意識した。
他にも津波の被害でも原発でもボランティアが来て助けていたからそれは全国からの善意の援助である。だから被害者は感謝していた。
でも自分の場合は原発の被害はあったが避難したわけでもないし外から援助されていることを感じなかった。
ただボランティアも津波の瓦礫をとりさるとか自分自身には直接関係しなくてもこの土地に住む者にとってはありがたいものであったが自分はあまり意識しなかったのである。
人間は何か感謝すにしてもその人がどれだけ意識して感謝するかしなければいくら相手が助けたと思っても通じないとなってしまう。すると金を支援した人もその金を通して援助しても何もなっていないと不満が今は大きい
その援助した金がどこに行ったかと疑問に思っている人も多いので義援金が集まらない
実際にその金は私的に流用されていることも多いのが義援金などである。
いづれにしろ金が数字化したときこういうことが常に起きている
そもそも何か買うにしても買った物のことをいろいろイメージする人はいない
そして金はどんな金であれ不正な金であれ金なのである。
この金がいちいちどういう金なのかどうしてもたらされた金なのかなど知ることはもうできない
金とはそういうものである。だから義援金でもそれが振り込まれていても知らなかったので自覚しえようがなかったのである。そしたら善意で送られた金も意識しないのだからその送った人たちに対しても何のありがたみも感じないということになってしまったのである。
それは少ない金だからそうなったともなるがそれにしても現代ではどんな金でもそうなりやすいのである。
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