2016年03月27日

北海道新幹線開業 (北海道には十回行ったー過去の記憶の街ー函館(詩)


北海道新幹線開業


(北海道には十回行ったー過去の記憶の街ー函館(詩)




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過去の記憶の街、函館


市電は過去の記憶を刻む
乗り場は駅でありその名に親しむ
老若男女が日々乗り合わせる
我は旅人なれば気楽なり
市電はゴトゴトコト街中を走る
その線路は刻まれた記憶の道
古い喫茶店が十字街にある
私はかつて函館の住人のようにあった
私は長く気ままにそこに滞在した
青函連絡船もその時あった
函館と本州は船で結ばれていた
白波が両側から打ち寄せる
立待岬に荒々しい波が打ち寄せる
エゾカンゾウが崖に咲き鴎が飛ぶ
ここに啄木の一族の墓がある
函館はその時青春の時代
榎本武揚が夢見た蝦夷共和国
日本の夜明けの熾烈な抗争の場
斬新な五稜郭に古風な見張りの屋根
ここに幕府軍は力を尽き船は沈みぬ
函館はその時開港して外国に開く先進地帯
今は秋から冬となり過去の記憶の街
ゴトゴトゴト市電は今も記憶の街を走る
私は冬の日もたずねた
入船町にロシア人などの異人が眠る墓
ハリスト正教会の屋根
カトリック教会の塔
トラピスト修道院も樅の木立ちて鎮まる
瞑想と祈りの日がこの北国にある
函館の市電の乗り場に凍てつく雪
その雪を踏みしめて歩みぬ
啄木の墓はここにありここに眠りぬ
そこはふさわしき奥津城なれや
明治の青春の日の形見なりしも


啄木の墓

立待岬の崖反りて暗し
荒波の大森浜に打ち寄せ
その波の音のひびき聞きにつ
啄木の墓の雪に埋もれありぬ
荒寥たるかなその一生
函館にその跡しばしとどめぬ
市電は路地を曲がり鈍き音
鴎とびきて冬にも旅人あり
坂を上り下りして暮らしあり
入船町に外人墓地や船は入りぬ
ハリスト教会や天主堂教会の塔
その鐘の音の海にそひびきわたり
ここに外国への門戸を開く
五稜郭に榎本武揚の蝦夷共和国
その夢は開陽丸の沈没とともに潰えぬ

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北海道というと十回は行っている、それも一カ月くらい一回で行っていた。
それほど自分は暇だったのである。
何故そうなったかというと梅雨の時期に家にいるのが嫌だったから北海道に行った
仙台から苫小牧までのフェーリーが便利だったのである。
電車で行くと新幹線すらないときがあったから遠かった。
青函連絡船の時から北海道に行っていたからずいぶんそれから月日が流れたと思う

函館にも何回も行った。函館から入るのと苫小牧から入るのは相当に感覚的に違っている函館は明治を象徴した街であり苫小牧はじかに北海道の大地を感じる
苫小牧に下りた時から北海道の大地を感じる、ルピナスとか北海道にしかない花が咲いていたりするからである。空気まで違って感じるのである。
最初は電車だったがそのあとはものたりなくなって自転車になった。
本当は最初は自転車でそのあと電車になるのが良かったが逆になった。
旅というのは意外と遊びのようにでもエネルギーが必要である。
特に自転車になるとそうである。旅をするというとき今は便利だから楽になりそれがかえって記憶に残らない旅になる。
旅とは峠があればそれを徒歩であれ自転車であれ苦労して上るときそこが記憶される


人生でも苦しみや不幸を経験しないと幸福が何かわからない、自分もここ十年間介護から何から苦しみの連続だった。でも今なにかその苦しみから解放されたなと幸福感がある
幸福とは苦しみがなければ不幸がなければありえないのである。
幸福ばかりだったら幸福はありえないとなるのだ。
今はだから旅をするというとき保養であり旅人はいないのである。
旅人になるというときそれだけの時間もないし便利だから二三日保養になる
江戸時代あたりだと歩いて行くとなるとそれだけで苦労だし旅になってしまう。


北海道の魅力はやはりそこが明治を象徴したフロンティアだったことである。
日本にもまだ耕すべき広大な土地が広がっていたのである。
その頃農業中心だから常に土地が求められてきた。それは満州にも求められてきたのである。それが戦争の原因にもなったといわれる。
農業中心だと土地が必要になるからである。戦後もブラジルとかに移住したのも農業するためでありそのための土地を求めていたのである。


北海道新幹線はそれぼどインパクトはない、それより青森まで新幹線が通ったときインパクトがあった、弘前から津軽鉄道に乗って終点の中里駅から十三湖にタクシーで行ったときはずいぶん近いと感じたのである。二時間くらいになると本当に近い。
ただ函館までは別にたいした距離ではないから新幹線の効用はそれほとない、現実にすでに開業したばかりでも空席がでていることでもわかる。
つまり札幌まで伸びない限りインパクトと効用はない、だから別に新幹線で函館まで行ってみたいとも思わない、松前には行ってないから行きたいとはなるか新幹線に乗ってみたいとも思わないのである。

ここ十年間介護に追われたりして旅はしていない、そして旅もできなくなる
自転車だと疲れるしなんか億劫になってしまったことである。
だからつくづく旅すら人間はできなくなる、これほど旅してもこれだけで終わりかとなるのが人生である。それは何でもそうである。
みんな終わってみれば人生はこれだけなのかとなるのに驚くのである。
もっといろんなことができると思ったが本当にできない、読書すらできない、せいぜい本でも100冊読んだらいい方である。その知識で書いているのである。
第一インターネットがないとまともな本が地方では読めないということが大きな問題だった。まず詩などとなるとどういうものがあるのかとかそれすらわからない
今は通販で詩集を集めて読んでいるがあのころはまずできない
それで仙台まで行って買っていたのである。それでも詩集など買いなのである。
だから田舎は知的なものを探求するには相当に不利だった
時代的に損得は必ずあるかちらどうにもならないのである。

いづれにしろ自分にとって北海道は第二の故郷である。十回も行ったからそうなる
新幹線は自分は山陽新幹線も乗っていないし北陸新幹線も乗っていない、鉄道が好きでも新幹線は敬遠してゆっくり普通の電車でわざわざ乗っていたのである。
だからこれも時間があるからこそできたことなのである。旅は金より時間がないとできないのである。暇人しかできないのである。
今回の北海新幹線にはそれほど魅力を感じないのである。

posted by 天華 at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)
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