
都路(みやこじ)山都 宮古 みやこ町 都田・・・・みやことつく地名の謎
都路は都にあらじさにあれど都を思ふ名のふしぎかな
都路村は田村市になって合併で消えたけど人間の不思議は名前に左右されることである。都路といえば都があるのかなとどうしても思ってしまう。そこには実際何もないのだ。都路の中心が古道というのも不思議である。古道(ふるみち)なのはそこは昔からあった道でありかつては頻繁に通っていた道であった。だから都路の中心なのである。
都城市の市名
初代領主の北郷資忠(ほんごうすけただ)-二代領主北郷義久(よしひさ)は、天寿元年(1375)神代(かみよ)の時代に神武天皇(じんむてんのう〜初代の天皇〜)の宮居(みやい)の跡と言われる「南郷都島(みやこじま)」(今の城山辺り)に城を築いて移住したので「都之城(みやこのしろ)」の名が起こり、その後、都城(みやこのじょう)の名の起源となったという。
「都田」という名は、平安時代に書かれた古い書物の中に「京田郷(みやこだごう)」と記されていることや、この文字を記した木簡が出土していることから約1000年前から使われているようです。
新都田(しんみやこだ)古くは京田郷(みやこだ)「美也古多」の時期もあった。京は、くらの意味「税金」の収納場所物資の集められるところを「都」と呼ぶ。こんなことから名をつけられた。
首里王府の辞令文書の中では、美里間切が創設された当初(十七世紀)、「見里」と記述され、その後に「美里」と改められている。集落の政治をつかさどる中枢を意味する言葉として「みさと」(みやこ・御里と同意)が使われ、後に「見里」や「美里」を当てたという説もある(美里自治会発刊、美里誌より)。
インタ−ネットで調べたらこのくらいあった。都城市とか都田は古い由来の都である。都と同一化されていたのが沖縄の美里である。この名前は合併でふえすぎて平凡化した。
宮古(みやこ)市
(1) 閉伊地方の経済・文化の中心地の意味で「都」から
(2) ミヤコ(都)物の輸入港
(3) ミヤ(宮)コ(処)で、神社があるところ
(4) 「港」からの転化
(7) 「宮子」で神社の氏子
(8) 「深山処(ミヤマコ)」の略で山中の在所のこと
宮古市からみやこの由来を考えると(2)(3)があたっているような気がする。宮古は地形的に岩手県でも閉ざされた地域である。区界(くざかい)という雪に埋もれた山の駅を越えたことがあった。岩手県は広い、宮古は辺鄙な閉ざされた地域であり海にのみ道が開けているような所だった。都路という地名を考えるヒントになったのは
都路の古道川は高瀬川に合流し、太平洋に注いでいる。かつて相馬藩に属していたこともあるのだが(戦国時代に田村領=現在の中通りに移った)、どの町村とも峰境になっていること。北は葛尾、西は常葉、南は川内、東は大熊に接しているが、いずれも小さな峠を越えないと都路に入れない。それが都路の地名の由来=都落ち(みやこおぢ)説につながっている?
都路の地名の由来としては北畠親房やその息子の顕家は戦いで20歳で死んだ。阿武隈山地にはその南朝の落ち武者伝説がある。霊山城が消失したとき鹿島町真野逃れてきたのがの桑折五郎元家であった。都路もその由来から都路となった。都へ通じる道とされる。でもよくよく考えたらそうでもないみたいだ。ここで注目したのは宮古でもそこはかえって辺鄙な場所である。都路も山深い閉ざされた辺鄙な場所なのだ。だから地形的なものと関係していた。地名は地形から読み解くことが大事である。(8) 「深山処(ミヤマコ)」の略で山中の在所のこと ・・・この説が面白い。都路はこれにあてはまるのかもしれない、宮のあるところもやはり村の中心地にあったからそうなる。つまり都路の由来は霊山城が炎上して落ち延びた落武者とかは関係ない、また都に通じるとなればその都とはどこなのか、霊山城なのか?となるとそうではない、都に通じる道とは辺鄙な所から町へでてくる、集まる地域となる。そこが都だとなる。都路の都とは古道のある場所だったのだ。そこに小さくても人々が集まる地域で都になったのである。これでわかるように地名に解きあかすには自ら路査しないとわからない、都路村が四方から峰を峠を越えないと入れないというのもなかなかこれも地元でないと地形がわからないのだ。一方から入ることがあっても四方から入る経験はできないからだ。宮古港から江戸時代に鉄が相馬藩に船で運ばれた。これも陸を輸送したら遠くて大変になるが船だとできたのである。宮古も閉ざされた地域だか海に開かれて貿易があったから宮古−都になった。
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