2016年05月02日

カルマは必ず清算することを要求される (人間の奢りには必ず罰が与えられる)


カルマは必ず清算することを要求される


(人間の奢りには必ず罰が与えられる)


その人間にメグリなくしてもメグリ負うことあるぞ。人類のメグリは人類の誰かが負わねばならん。一家のメグリは一家の誰かが負わねばならん。果たさねばならん。善人が苦しむ一つの原因であるぞ。神の大きな恵みであり、試練であるぞ。(ひふみ神示)

一家のメグリは一家の誰かが負わねばならん。

このメグリを負うのは家だったら長男、長女になりやすい、まさに自分がそうだった。
実際に自分の家の血縁関係で家族で残っているのは自分一人になったからである。
最後に供養しなければないなのは自分だけなのである。

それぞれの家が何らかのカルマを背負っている、良い面と悪い面のカルマを背負っているそしてカルマは悪い面に現れるときカルマを意識する、現れないとき意識しないのであるなぜこんなひどいことになったのかとかこんなに苦しむのかとカルマを意識するのである
ここ十年の間に起きたことは自分の家のカルマであり自分自身のカルマであり地域のカルマであり国のカルマであり天変地異が津波などもあったからこれもカルマでありあらゆるカルマが自分を襲った。
原発事故も起こるべくして起こったカルマなのである。
事故もカルマであり起こるべくして起こる、偶然ではないのである。

不思議なのはなぜある人が理不尽な犯罪にあうのかということである。なぜその人だけに犯罪にしうのか?これも不思議である。
強盗にあいわずかなの金で殺されたりする人もいる、これはなぜなのか不可解としか外から見ればなる、でもなんらかそこには必然性があるのかもしれない、なぜその人だけがそんなひどい目にあうのか納得がいかないからである。

例えば強欲な人が強盗に襲われて殺された、そこに働いていた家政婦は助かった。
それは外から見るとあまり同情されないかもしれない、極端になるとい気味たと見る人もでてくる。
その人は金をためすぎてそのカルマとして強盗にあい殺されたのかとなる
こういうことはかなり確率的に起きやすい、金持ちの家は危険なのである。
金がないこともカルマであり金があることもカルマなのである。
そしていつカルマの清算を強いられるのである。

はっきりカルマが目に見えてわかるのは必ず親のカルマを受ける、いいにしろ悪いにしろ受けることは逃れられないのである。
それは長男と長女が受けやすいのである。
なぜあの人は今になって夫の借金とかで苦しんでいるのか?その親は夫が身体障害者でさんざん苦しんだ、そしてやはりまた夫でその子供が苦しんでいる
何か親の苦しみをカルマをその長男長女が引き継ぐ、それは自分もそうだったのである。

その苦しみを書いてきたけどさんざんな目にあったのはなぜだったのか?
やはり自分の家の親のカルマを清算するために苦しんだのである。
金がないにしろあるにしろカルマを受ける、親が強欲で金を子供に残してもそのことがカルマになり子供がそのカルマを清算することになる
それは強盗のような目にあったことがそうだった、それは悪い面のカルマだったのであるだから金があるこからとすべていい方面に働くとは限らないのである。
もちろんないはないで大きな問題をかかえる、ないということもいいわけではない。

熊本地震でもなぜ東日本大震災とが原発事故でガレキを熊本県が受け入れなかった、そして東北や北海道は地震地帯であり自分の所は地震が起きないからと企業を誘致する宣伝を県単位でしていたことが批判された。そのカルマとして地震が起きたのかともなる。
地震とか巨大な津波とかはもう人知を越えたものだからそこに神というのでもなくても大自然の地球を調整する働きであるという人もいる。
そして必ず何かカルマを受けるとき罰のようなものを受けるとき人間の奢りと関係している、熊本県もそうだった、地震が来ないと奢っていたのである

それは個々人にも言える、人間が奢るとき非常に危険なものとなる
原発は事故が起こらないとか、自分は優秀だとか何かそうした奢りが危険であり必ずそういう奢りは打ち砕かれる、親戚の人も誰もとれない資格をもっていて優秀だと奢っていたでも事業して失敗した。何か奢る人は他者を馬鹿にしているのである。
それは自分の家族でもそうだった、死ぬまで自分は優秀だったと言って死ぬのも異常である。
実家の祖父にあたる人も警察署長とかして事業に失敗した。これも奢りだった。
ただ逆に働くことしかなく貯めることしかしないうかな親もどうなったのか?
それも盗まれたというのはカルマだったのかもしれない、ただためるだけで有効に使わなかっただけだったからである。
だから金というのは何かカルマとしてはわかりやすいのである。
そうした親のカルマを自分は引き継ぎ苦しんで清算したのである。

いづれにしろ個人単位でも地域単位でも国レベルでも奢りは身を国も滅ぼすのである。
日本は神国だから戦争に負けないというのも奢りだったのである。
神は高いものを低くするというときそうである。
それは国レベルでも起きてくる、大国が強国が必ずしも強いとはならないのである。
そこには神の采配が働くのである。
アメリカとか中国は大国だけどなんかの調子で弱体化することがある

聖書でも常に奢りは戒められてきた。そして人間の奢りに罰が与えられてきた
それは歴史的にも国レベルでもそういうことがある。
いくら強固でも大国でも小国を勝手にできないということもベトナム戦争であった。
あのような小国をどうしてアメリカが勝てないのかということかあった
ゴリアテはダビデの投げた小石の一撃で死んだ
イラク戦争でもアメリカが勝ったわけでもなかった、かえってイスラム国を産みシリア難民を産み混乱と苦しみを与えただけだとなる、その原因はアメリカにあったともなる
イラク戦争がその原因になっていたからである。
つまりアメリカというのは世界的にも相当なカルマを国として背負っている
日本に原爆を落としたのもそうだしアメリカのカルマもいつか清算を強いられるかもしれない、ハルマゲドンも人間のカルマの清算として起こるとされているのである。
人間がどれだけの罪をカルマを積んでいるからそれ歴史的にふりかえれば目がくらむだろう。
その清算にはハルマゲドンのようなことで清算するほかないとまでなっているのである。

自分にも自分の家にもカルマがあったが自分に対して非情にしたものたちもカルマを逆に受ける、別に自分は恨まないにしてもカルマを作ったからカルマを相乗して受ける、かえってゆくことになる
それがカルマの法則なのである。その法則から誰も逃れられないのである。
カルマはある時一定期間は受けざるををえないし逃れることができない、その苦しみが清算されると逆にカルマは関係したものに返ってゆく
だから良いカルマを積めばいいのだが悪いカルマをそこで積むとカルマは何倍にもなり清算することが容易でなくなるのである。
恩を仇で返したりしたらそうなる、そのカルマは過酷になることは確かである。

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