2016年06月08日

建築史から見た文明史(1) (建築も人間の精神性を追求した)


建築史から見た文明史(1)


(建築も人間の精神性を追求した)



文明とは何かといったらこの定義そのものがむずかしい、いろいろな見方があるとしてわかりやすいのは建築から見ることである。
それじシュヘングラーは「西欧の没落」は建築史だったのである。
建築史としてその発展は頂点に達して西欧は没落するとした。
確かに建築の面で何か現代では新しいものが生れない、現代建築はかえって過去の建築と比べると荘厳さとか精神性に欠けているのである。
そのために「西欧の没落」が意識されたのである。

現代とは資本主義であり経済だけが世界を席巻している社会である。だからどこでも世界は一様化して文化というのが衰退した。どこの都市でも同じような建築しか見られない
高層ビルでありそれはビジネスのための機能性だけを追求したものである。
要するに現代は精神なき経済に蹂躙されてしまった世界である。
ただ求めているのは狂気のように金だけだとなる、それは庶民でもそうであり金しか価値観をもてない世界である。

建築史から見ればいかに過去の建築が精神性があったかとなる
もちろん建築の基は実用性であり機能性である。それに加えて装飾性が追求される
縄文時代の土器でも木の実を貯えるということから発展してあれだけの装飾が生れた。
茶碗でもそもそも実用性がありやがて茶道として茶碗が芸術化したのである。
日本の茶道の茶碗は多様であり今でも地域のお土産は茶碗だとその土地のものだと感じて窯元を旅の時訪ねたのである。

岩倉使節団の一員として1871年末から73年秋にかけて欧米諸国を歴訪した久米邦武(1839–1931)が、その記録『米欧回覧実記』の中で、シヴィル・エンジニアリングと思われる語を「『シヴィル』器械」と記したことを取り上げ、近代日本の黎明期においてこの言葉を日本人が理解することの困難さを指摘した(5)。確かにここで併記さ
れている「革、靴、衣裳、家什、石鹸、蠟燭、工匠農工具、紐服飾ノ工、金銀銅器ノ細
工、印書製本ノ業、及ヒ麦粉」に比して、「『シヴィル』器械」からは何らかの実体をもつ事物を連想することはできず、久米にとって、エンジニアリングと結び付いた場合のシヴィルの意味内容が理解の範囲を超えていたことが窺える(6)

シビルエンジニアリングの概念と翻訳


文明というとき西欧文明に日本人が何を意識したかというと様々な道具や物や機械を意識した。これは職人的な見方だったのである。
ところがシビルエンジニア (Civil engineer)のcivilに注目していなかった。
そもそも文明とはcivilzationなのである。civilが中心なのである。
そして西欧の文明はキリスト教文明ということもほとんど関心がなかった。
でもヨーロッパに行けばいたるところが荘厳な教会が街の中心にある。
キリスト教文明だからそうなっている、イスラムだったらモスクが中心になる。
日本人は西欧文明というとき宗教には目を向けず実用的なものに目を向けて文明開化したのである。それは今日まで継続しているのである。
精神性がキリスト教という宗教が文明という視点が欠如しているのである。

その点日本だとかえって仏教文明とも言える時代を作っていてそこには貴族文化だという批判もあるが建築史の面から見れば精神性を追求しているのである。
奈良時代でも平安時代でも仏教建築が興隆していてそこには精神性がある。
仏像にしても偶像であるがそこに精神性を見ればそうはならない、形となった精神が仏像にはある、建築にもある、だから奈良の大仏は鎮護国家の象徴として作られその後も仏教文化が興隆したのである。
技術は仏教文明としての精神性の追求をしていたのである。

古墳は最初に日本人が共同して作り上げたものとしての意義はあるとしてもそこに何かの精神性を感じるだろうか?ただ土を盛っただけではないかともなる
まだ日本人の精神性は育まれていない、日本人の共同性は育まれたが精神性は育まれていない、それでものたりないのである。ただ大きいだけでは精神性はもちえないからだ。

ただ伊勢神宮となるとその建築に精神性をもつようになったのである。


ブルーノ・タウトによれば、日本文化の本質は、「簡潔」、「明確」、「清純」
にあり、その典型例として「桂離宮は伊勢の外宮と共に、
日本建築が生んだ世界標準の作品と称してさしつかえない」と絶賛した。

桂離宮と対照的にブルーノ・タウトが、日光東照宮について、「いかもの」であって、
「華麗だが退屈」、 「珍奇な骨董品の感じ」と非難した上で、
「建築の堕落の極致」と酷評したことはよく知られている。


日本人はもともと華美なものを嫌っていた。だから装飾がない、伊勢神宮がそれを象徴していた。簡素、質素、清楚がそこに如実に現れている
それは万葉集にある精神でもあり神道に通じているのである。
白砂の庭を下駄をはき神主が歩む、そこは神の庭なるが故に静謐であり乱されてはならない、清浄の領域であり神域なのである。

豊国の 企救の浜辺の 真砂土 真直にしあらば 何か嘆かむ 

この歌に象徴されているように素直とか直しとかの言葉は自然に融合すに調和する大和言葉なのである。
日本の古代となるとその自然は今と比べようがないほど美しかった。その光景を見たらこの自然を汚してはならないという自然そのものが神域のように見えたのである。
日本という美しい自然の中に生きることがあればその中に真直(まなお)にあれば何も嘆くことはないとなっていたのである。
だから東照宮は装飾華美であり日本の伝統とか文化とは違ったものである。
それは権力者のものであり日本の歴史伝統とはまた違ったものである。
第一徳川家康を神とすること自体がまちがっている、あくまでも一人の権力者でありそこにお参りするような場所ではない、日本は自然が特別に美しいから自然そのものか神になった。神ながらの道とは自然と共にあることなのである。

いづれにしろ建築史から見ると奈良から平安から鎌倉から武士の時代でも城でもそこに日本人の精神が現れているのである。建築に精神性がある。
だから奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代を建築史から見るとわかりやすいのである。その時代の精神が如実に現れているからである。



タグ:建築史
posted by 老鶯 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論
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