イギリスのEUからの離脱と日本の市町村合併の共通性
(小高は南相馬市から見捨てられる?)
これも外国だから何か複雑で日本ではわかりにくいとなる
それもそうなのだがこの辺が直面している問題と共通性がある。
市町村合併は小規模でもEUとにている。
合併してからいろいろと不満が出ている
南相馬市だと小高ー原町ー鹿島と合併したが結局原町がもともと原町市であり
人口も5万とか多かった。
すると合併したら原町中心になり小高や鹿島は原町に付属するようなものになった。
それが顕著になったのは原発事故が起きてからである。
一番もめたのは補償金の問題であった。
補償金によって小高ー原町ー鹿島は分断されたのである。
原町では最初仮払補償金を市の財政から払うとき反対した人がいた。
その時から南相馬市は分断されていたのである。
財政にしても南相馬市になればどう配分するかで問題になる。
結果的には原町中心の予算配分になり鹿島区などは不満だった。
今度は小高が見捨てられるというときそれも南相馬市全体の一部として小高があり
小高独自の自治はもうできない、南相馬市の支持に従わねばならない
でもこういう緊急自体になると小高が存続できるかできないかとなると
小高自体の自治が必要になってくる。上からでも下からでも小高としての自治がなかったら復興できないのである。
南相馬市全体で考えるとき小高はめんどうだからもう若い人も帰らないから見捨てるほかないとか性差としてもなりかねないのである。
でも小高町として自治体として独立に機能していれば小高町をみんなでなんとかしようという具体的な政策も実行できるのである。
他では浜通りは小さな町でも合併しなかった。双葉町とか大熊町とかきぼか小さくても合併しない、他でも富岡でも楢葉でもそうである。
それは原発マネーで財政が豊かだったからである。
合併したのは財政問題があったからである。
ただ飯館村などは所得が福島県で最低だったのに合併しなかった。
つまり飯館村は飯館村の独自の村作りをするときめて合併しなかったのである。
財政的には苦しいけどそういうふうに決めたのである。
合併するにしろしないにしろメリットとデメリットはあった。
それは今のイギリスのEU離脱問題とにているのである。
飯館村はスコットランドである。独自の村作りしたいということでそうした。
ただ違うのはEUに残留したいというのは違っている
南相馬市はEUであり合併したのは経済的財政的問題だったから同じだった。
飯館村が南相馬市と合併しなかったのは貧乏でも独自の道を歩むためだった。
それはそれで納得する、南相馬市と合併したらそうはいかなくなった。
そのことを原発事故後小高区に具体的に示されたのである。
小高が復興するには小高自体で自治が必要でありそれがないから南相馬市の支持でやるほかないからできないとなる
それで南相馬市から見捨てられるというときそれは独自の道を歩めない自治体がないからそうなる。
イギリスももともと連合国だった。それがイギリスにまとまり大英帝国までに発展した。それはさらにEUに合併したのである。その事情はイギリス一国では衰退したからEUに入ることで経済的に発展しようとしたのである。
EUから離脱すれば経済的メリットは受けられないからである。
ただグローバル化した、広域社会になった現代では一市町村のエゴは通じないということがある。熊本県が批判されたのは放射性廃棄物の処理を引き受けなかったことである。
そして東北は地震が多いから危険であり地震がないとした企業を誘致した。そういう一つの県のエゴであれ広域社会になると許されない、江戸時代だったら他の藩のことはどうでもいいとなるが現代ではそうはならない
広域社会でありグローバル社会になると責任もそれだけ広いものになるのである。
イギリスは移民だけではない日本の企業でも1300社も受け入れていたのである。
そしたら日本でもその影響を受ける、世界でも受ける、イギリスが勝手に離脱していいいのかとなる。つまりもはや一市町村と一国でも勝手にならないのがグローバル社会である
ただグローバル社会がいいとかは別問題としてある。それぞれの国が独自の道を歩むという選択もあるしそれが悪いとも言えない、それは飯館村が合併しなかった理由とにているそういうジレンマに陥っているのがイギリスである。それは他の国でも同じなのである。グローバル社会になったとき同じ問題をかかえているのである。
ともかく小高が南相馬市から見捨てられるというとき自治が失われてしまっていたからだというのもわかる
一方で現代は広域社会だから一市町村が財政的メリットがあるからと勝手に原発を誘致してもらっても困るのである。
広域的にトータルに考えねばならない、小高が原野化している地域が広い、そこを放置しているといつかは国のものになる。税金を払わないとならないとか売るとやがては国のものになり国の勝手にされるのである。放射性廃棄物場にされる
それも南相馬市では困るとなる、飯館村では自分の土地を国に売って金が欲しいという人がいた。そうなると放射性廃棄物処理場にされてそれが南相馬市まで泥となって流れてくる。今でも飯館村から放射性物質が泥となり真野川とか川を通じて流れてきているからだ
今回の原発事故では私的に利益を確保するということと公的な問題としての土地や海の問題があった。漁業権も漁師が海が自分たちのものだから東電に売り渡した。
でもそれによって汚染されたのだから責任がある。海もそうだしそれぞれの土地でも土地は公的な性質がある、みんな土地でも海でもつながっているからである。
私的に占有するこなどできないのである。一区画の土地でも全体とつながって存在しているからである。
イギリスがこれから混乱状態になるというときここはすでにそうした混乱状態が継続しているのである。
浜通りが双葉町でも大熊町でも浪江町でも広域的に考えて問題解決にあたるべきだというときもそうである。それはEUとしてあることである。
原発事故の被害は広範囲になったからである。個々の市町村で処理できない問題だったのである。ただ個々の市町村であれ地域であれ個人であれ利益を追求しているだけでは問題が解決しない、個々にであれ地域であれ利益を追求すれば全体が保てなくなる
でも実際は公的でない個々の問題として補償金は追求されている。
特に南相馬市では小高と原町と鹿島は分断されたというとき一体感が失われた。
他は一つの町として追求しているけど南相馬市はそうならなかったのである。
タグ:市町村合併
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