2016年06月28日

女性が貧乏底辺化する原因 人間の幸不幸は最後までわからない



女性が貧乏底辺化する原因


人間の幸不幸は最後までわからない


●夫に恵まれない

●離婚している

●容姿が悪い

●その人の資質

●実家とか資産や遺産がない

●子供に恵まれない


女性が幸不幸になる原因は何か?女性の場合どうしても容姿とかが大きく作用しているだろう。女性で見た目が良いといい男性とめぐりあう度合いが大きくなる
自分は人と接していないから実際はそういう方面ではうとい
ただ最近知った女性をみるとこの条件があてはまっているように見える
女性はやはり夫に恵まれないと貧乏になり底辺化しやすい
それは容姿が大きく関係しているかもしれない、自分のあった女性は容姿が良くない
そして離婚している、ともかく現代は離婚している人が本当に多い
三分の一は離婚している、戦前などは離婚しても離婚できない、生活できないからであるだから人間はそもそも他人が一緒になれば離婚も増える
離婚してすぐ生活保護を受けていた人もいた。子供がいたので女性は生活保護を受けやすい、これも離婚を促進しているのだろう。
今は女性はいろいろと社会的にも援助されるからである。

人間は貧乏になるというときその人の資質が関係している。それは学歴とかも関係ない、その人の資質が大きく関係している、人間は頭脳でも体力でもそもそも差が大きいのである、自分などは体力も頭脳もだめだった。だから普通であれば底辺化していた。
ただ自分が恵まれたのは家族に恵まれたから底辺化しなかっただけである。
家に資産があるとか金持ちだと資質が悪くても底辺化しない
まず学歴があっても東大出ても高卒の方が仕事ができるとかあり現実の社会で活躍できるかはその人の資質なのである。

近くのトラック運転手は若いときに家を建てた。30代で建てた、なぜできたかというとトラックは一台運んでいくらと歩合制である。それを人よりも多く運んだから金をためた。ただその時は高度成長時代であり給料も常に上がっていた時代である。
その時は事業をしてもたいがいうまくいっていた時代なのである。
その人は何か人を指導する親分肌の人ということもあり会社で上に立つようになった。
それはその人の資質なのである。もう一人同じ仕事でも働いても役にたたず生活保護になった。どんな仕事でも資質がないとものにならない、大工とかでも何でもそうである
男は仕事ができるということは資質なのだろう。女性は容姿が大きく作用する

女性の場合はまた生んだ子供にも幸不幸が作用する、その人は障害者をもったことで子供にも苦労した。他の人をみると子供が事業して贅沢な暮らしをしているとかある。
頭のいい子が生れるといい所に就職すると親は楽になるし贅沢もできる
現代はできの悪い子が生れるとその影響も大きい、ニートなどがどこにでもいて増えているからである。するといつまでも子供の世話をせざるをえなくなるのである。
その人が底辺化したのは上に書いたことがみんなあてはまっていたのである。
ただその女性の資質をみると悪くはない、考え方がしっかりしているし体は丈夫だし資質が悪くはない、ただ容姿は悪い、太っていて不細工で若いときだと嫌だとはなっていただろう。ただ精神的な面を見るとしっかりしているのである。
女性でも容姿が良くても精神的薄弱な人が結構いる、そういう人は苦難に弱い、苦難をのりきれないことがあるだろう。自分もそうだが社会的適応性がないとなる
その女性はとにかく人に頼むことやたよることがうまい、交渉力がある。
女性だからとはなるがそれだけでもない、だから男性には好かれるタイプのように見えるでも容姿が悪いから若かったら嫌だとなってしまう。

その人は飲食店で働いていたが給料を半年分もらいなかった。そこは元暴力団員とかが関係していた。要するに飲食業にはブラックが多いというときそうだった。
給料未払いというのもそういう所にはあるのだろう。
そういう底辺にはブラックが多いのである。今だと派遣とかかそうである。底辺化することはブラックな所で働かせられるということでもある
そしてブラックな所を転々とするということがありぬけられないのである。
その女性は底辺化する条件がみんなあてはまっていた。ただ資質として容姿が悪くても精神的には悪いとはなっていない、心がひどく曲がってしまった女性もいるがそうはなっていないのである。


ただつくづく人間の幸不幸はわからない、女性で容姿が悪いから必ず不幸になるとも限らない、美人だから幸福になるとも限らない、あんな美人で結婚してすぐに乳ガンになった芸能人がいたりいろいろある。人間は最後になるまで何が幸不幸かわからないのである。幸福の原因と思えたもが不幸の原因にもなったりする、金持ちの姉妹が餓死したとかいろいろあるだろう。老人になるとそのカルマが結果として現れる
つまり幸福の原因が不幸になる原因だったともなる。苦労していればそんなことにはならなかった。何の苦労もしないから苦難をのりきれなかったとなる
金持ちの家がみんな幸福といえばそうでもない、何か不幸をかかえているというのも多いからだ。
鳩山邦夫氏なども大金持ちであり大臣にもなったが67才で死んだのかとなる。それもはかないとなる。大金持ちでもみんな死ぬから同じじゃないかともなる
死というのは誰にでも平等なのである。結局なんであれ人間はみんな死ぬとなる
自分も同じ世代の人が近くで結構死んでいるから死が身近になる
だから大きな家とか財産でもいらないとなる、かえって負担になる。
金があればいいがこれももし遺産とか相続になると子供がいたらもめるし金が災いを呼ぶことは普通にある。だから何が幸不幸なのかわほからなくなるのだ。

人間いろいろ不幸があっても健康がそこなわれると最大の不幸になる。大金持ちでも徳州会の徳田氏のように大病院をもっていても身動きがとれない口もきけないとなると最も不幸にしか見えないのである。これも何か皮肉だなとつくづく思う。
どんな高価な治療を受けられるにしても優秀な医者に看護師に囲まれていてもあれを見ただけで不幸だなとなる、何か人生は最後までの見ないとわからない
自分の姉は資質的に優れていたけど最後は認知症になり悲惨だった。
自分は優秀だったと最後まで言って死んだ、いくら優秀だったとと言っても認知症になることは馬鹿になる痴呆になることだから悲惨だったのである。
ただ人間の最後は認知症になる人も多いのである。90以上になると半分はなる。
だから長生きすることもみんないいとはならないリスクがある。
だから人間の幸不幸は最後までわからないのである。運不運もある。
津波で死んだ人たちもやはり運不運かあった。事故で死ぬということも不運である。
要するに人間の幸不幸も幸福の原因が不幸の原因ともなるし不幸の原因が幸福の原因ともなるからわからないのである。

若い人と老人を比べるとその差は歴然とする、老人にとって若さはあまりにもまぶしいものである。もう絶対に手にいれることができないものとなっているからだ。
若いときは当り前にあるその貴重なものを感じない、失ってみてはじめていかに青春などあっという間にすぎるから思い知らされる、そしてその時は二度と帰ってこないのであるそしてみんな必ず後悔している、どんな人も老人になって後悔しない人はいないのである有効に活かされなかった時間や様様なもことで悔いているのである。
でもまた老人が不幸かとなるとそうでもない、前にも書いてきたけど本を読むにしても今までわからなかったことがすぐにわかる、理解力とか洞察力とかかえって創造力さえ老人の方があるともなる、それはいろいろ個々人によって積み重ねたものが華開くからである自分は才能がなくても我ながらいいものが俳句とか短歌とか詩でも作れたなと自分で感心しているのが不思議である。
ともかく老人になとその時何が幸福で不幸だったかもわかる、不幸と思えたが幸福になったり幸福だと思っていたことが不幸だったともなる、確かに自分の場合も自分を幸福にしていたものが不幸の原因になった。家族に恵まれたが家族の介護になってひどいめにあった。
幸福にしていたものが反転して不幸の原因になっていたともなる

結婚しない人が増えているけどそれも若いときはいい、年取ってくると誰も頼る者がいない、現代のような情のない社会では特にそうである。
金があったとしても病気になったらその金をとってやうとする人しか来ないのである。
実際そのことで自分がいかに悲惨なものになったかを経験して書いた。
つまり若いときは将来どうなるか見えないからのんきにしているのである。
今がいいけりゃいいとなっているらだ、人間は将来の不幸をリアルにイメージできないのである、だからこそノン日りしているともなる。
津波だってもし想像力を働かせていたら危険な海岸沿いには住まなかったろう。
今になるとそんなことも批判されるがやはり個々人の人生でもそうなのである。
将来いかに悲惨なことになるか想像できないからのんびりしている。


だから人間の幸不幸は最後までみないとわからないのである。
原発事故にしても実際は原発で回りの人は恩恵を受けていたが事故になり反転した。
恩恵と思えたもが不幸の原因となったのである。そういうことはいろいろ社会的にも個人的にせある。社会的にも何か幸福になり不幸になるかわからないのである。
江戸時代がし貧乏でもそこには幸福なものがありみんないい顔をしていたというとき何か時代的なものの影響があった。現代人と比べるとそうになる、これだけ豊でも現代人は鬱病だとかみんな不幸な顔しているのかとなる、豊になっても幸福とも言えないとなるのである。だから貧乏がいいというわけではない、極端にして考えるべきではない、
人間の幸不幸がわからないということなのである。
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