夏の日(相馬市の道の駅ー台前→鹿島区を行く)
白い帽子は女性である
蔵二つがあり前畑があり悠々としている
これが田舎の住まいである。
この奥に一軒の家がある
その前は草茫々である
蔵二つ前畑に女菖蒲映ゆ
夏草や奥に一軒長き道
立葵映えて畑に仕事かな
大通り田舎の真昼立葵
夏日射しこの家の栄ゆ赤き石
鹿島区の大通り
相馬市の道の駅から山の方へ行った、台前という所である。
ゆきどまりの奥に一軒家があった。その前は草茫々だった。
そこは元は田んぼだが放置されたのだろう
相馬市は別に放射能汚染地域に指定されていないから前と同じであるがそこは草茫々だった、奥に一軒家があり廃屋などもあった。
ただ道が舗装されている、それは最近舗装されたものである。
その舗装された道が結構長いけど誰のために作ったのかとなると
その一軒の家のためになのかとなる、それも金が相当かかっているだろう
これがまさに限界集落とにている、一軒の家のたにもインフラを舗装した道を作ったのである。
ともかく田舎は前からいたる所を道にしていた。飯館村の神秘的な森に覆われた場所も道にされた。結局車社会だからそうなる
田舎では車なしでは生活できない、一人一台もっている、農作業でも軽トラが必需品だからである。
それで田舎はかえって金がかかるというのはそのこともある。
一方でなぜそうした不便な所に住めるのかとなる車があるからだともなる
ただ田舎暮らしというとき何か小さな町からでも離れた地域のことを言っている。
でも田舎というとき小さな町とか市がいくらでもある
そこにはスーパーはある、だから別に町内に住めば車なしでも住めるのである。
ただ田舎で普通は車をもっていない人は田舎の下層階級である。
生活保護とかなにか普通ではないと見られるのである。実際に自転車を使っている人はそういう人が多いのは確かである。
田舎暮らしというとき何か特別不便な所をさして言っている。
原町とか相馬市に住んだらそこが田舎暮らしにならないのかとなる。
その辺が田舎暮らしの変な点なのである。
南相馬市の鹿島区の大通りがあり広い、あそこだけなぜあんな広い道路を作ったのか前にフジコシとかのスーパーがありそのために広い道路にした。
鹿島区は原発事故では悪いことには必ずしもならなかった。
なぜなら今度シシドスーパーができる、なぜできたのかと考えると鹿島区は小高は避難区域になったがここはならないし新しい家がどれだけ建ったのか三つくらいの地域が新しい街になったほどである。すると人口は減らないから新しいスーパーができた。
それだけの人口があるから客が来るとして作られたのである。
鹿島区でもう一つスーパーができることは大きな出来事になる。
スーパー一軒だと競争がないから高くなるからだ。
自分は車がないから助かるとなる。
土手の道に立派な家がある、いろいろな石を並べてある。大きな石だからその石自体高価である。一軒見ただけで金持ちの家である。庭に金をかけている所も金持ちの家である。自分は石に興味があるからあの赤い石は女性の石であり女石(めいし)とかなる
貫祿ある石だと見る、毎日あそこを通っているからその石が心に沈着してくる
石というのはやはり長く見ていないとわからない、石というのは自然でも一時見ただけではわからない、長い年月そこにあるからやはり長く見ていないと石のこともわからない、長い時間をかけるとその石と人間が一体化するのである。
だから自然は田舎でも長く住んでいると自ずと自然と一体化するのである。
自然とアイディンティティ化してゆく、それで自分のテーマは石や樹になったのである。
タグ:台前
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