2016年07月03日

朝日テレビの「世界は今は」の医者の話が現代を象徴 (医療のグローバル化でも格差が世界的に生まれる)



朝日テレビの「世界は今は」の医者の話が現代を象徴


(医療のグローバル化でも格差が世界的に生まれる)


EU内でもルーマニアでは医者が給料が安いとかで外国に流出して国内で医者不足で困っている
イギリスの医者もドバイの馬鹿高い給料でそこに移った。給料だけではない、医療技術を学べるとかでも外国に流出している、最新の機械をそろえてもらってその人の技術が活かせると言っていた。イギリスでは国営なのでそれができなかったという。
ルーマニアでは若い医者がここでは最新の医療が学べないとして外国に出る、ルーマニアで月給が高いの共産主義時代の名残で軍人とか公務員だという。軍人が給料が高い国はいい国ではない、やはり医者とかが給料が高いのは先進国ではどこでもそうだからである。
でもここでの矛盾は何でもグローバル化すると金があるところに人材が集まり金のないところにはいい医者は集まらないとなる。これも矛盾である。
日本でも田舎には医者不足なのはこの事情とにている、ただ給料は高い
若い医者が田舎に来ないのは腕が磨けないからだという
南相馬市に新しくできる、建物はほとんどできた脳出血専門の病院はもともといた副医院長が手術がうまいとか評判だったし若い人がここで学びたいと前から来ていたのである。田舎でもそういう名医がいるところに若い医者が集まる

グローバル化というとき、EUの中で人や物が自由に行き来するというのでパスポートもなく出入り自由になった、そうなれば当然人間が医者なら金になる国に移るし労働者も移るそれで不満になったのがルーマニアであり東欧から労働者が移民が入ってきたイギリスであった。双方ともに不満なものが残った、イギリスだけではないそうした医者とかが流出するとなるとルーマニアではグローバル化で損害を受ける、医者は命にもかかわるから大事である。それがないがしろにされる
要するにグローバル化の問題は金の集まるところに富裕な国にまたは日本なら東京とかに人材が集まり地方は置き去りにされるのとにている
ここにも格差が世界的に起きているのである。

医者は金と情でどちらが大事とか問うていたけどグローバル化するというときはルーマニアのように給料が安い所にいたくないとなる、情として国に尽くしたいとしても現実問題としてはそうなる、地方の医療に尽くしたいと思っても若い人は医療を学べないとして行きたくない、医は仁術というとき医者は今ここで病気で苦しんでいる人がいればその人が金のあるなしにかかわらずまず助けるということが先になる
それで救急車が無料で呼べるシステムになっているのである
医者には給料が高いのはいいとしてそうしたまず命を救うということが仕事なのである

事業をしていた人は自分が病気であることを全く考慮していない、ただ借金を返すことしか頭にないから借金を要求する、弱っているから好都合なのである
もし瀕死の状態にあるのにこいつは金をもっていないから医療をほどこさないとしたらどうなるのか?
そこに医療が他の仕事とは違う問題がある。教育なら金のかかる教育は受けられないとしても生死にはかかわらない、何か別な方法もありうる
医療の場合は結局金がないとかで医療を受けられないとした寿命を縮めて死んでゆくほかないとなる、もちろん過剰な医療が必要ないがそうでない場合も医療が受けられず命を縮めるから問題なのである。
日本は国民保険制度で平等に医療が受けられるからいいがアメリカでは金持ちしかいい医療が受けられない,簡単な手術でも何百万かかるとなるから手術も受けられないで死ぬ人かいる。ただ日本のような国民保険で医療を維持するのも金がかかるからいつか限界がくる、医療費が高齢化で膨大になり維持できなくなる、だから過剰な医療はやめるべきだとなる。ただその線をどこに引くかは個々に事情が違うのでむずかしい

また最近医療のAI化が盛んに言われる、一部はすでにロボットで手術するとか現実であるこれもどんどんすすんでゆくと医者も失業するとか言う人もいる。
ある面ではどこでも今やコンピューターの方が優れているからだ。
コンピューターの得意な点は膨大な情報を処理できることである。
それはとても人間の比ではないのである。その膨大な情報から診断できるから医者より優れる面がでてくる。
ただ必ず人間の仕事がありそれはなくならないのだ。
コンピューター化が進むとき人間に残る仕事は何かというとコミニケーションする力だと思う。それは情の分野になる。
この人はかわいそうだなとかコンピューターがロボットが同情することはないのである。同情するのは人間にしかできない、また何かを共感するというのも人間にしかできない、例えば家事は機械化して今や主婦の仕事はなくなるくらいに減った。
でも女性には慰めるというか優しさをもって男性に仕えるというのはなくならない
それは他でも看護師だったら患者をなぐさめるというかコミニケーションする力が必要になる、ただ点滴するとか注射するとかだけではない、患者とコミニケーションする力が必要になる、これは若い人にはない、やはり経験をつまないとできない。

一見若い人がいいようでもコミニケーションする能力には欠けている
だから年寄りを馬鹿にして子供に対するような言葉使いをしているとか批判しているプログもある。人生を経験を積んだ年寄りを子供扱いしているのである
それは年配の人と経験を積んだ人とコミニケーションできないからである。
自分が相馬市の病院に入院したとき看護婦長が「介護しているので大変ですね」と言ったときこの人は自分の事情を察してくれたと思ってうれしかったのである。
若い看護婦は師はそういうことはみないのである。
だから若い人と年配の人との仕事を分けるということもありかなと思った。
若い人はハードなことはできるがコミニケーションのようなソフトなことはできない
年配の人は人によるがコミニケーションには向いているからソフトな仕事をする
それは介護の現場でもそうである。
人とコミニケーションをとるというときその人に共感することが大事である。
自分も自分の年上の人の話を聞いてそのことを書いた、それは年が10歳くらいしか離れいないからできた。同じような経験をしているから話を合わせることができた
その人の語ることに共感できた。そうでないと話を聞くにもできないのである。

グローバル化とかAI化とかコンピューター化とかは現代的なものとしてすすんでゆくがそこに問題も生まれる
インターネットとは知のグローバル化であるからだ。人や物だけではない、知識もグローバルに流通する。そして膨大な知識が本が最終的に無料で読まれるようにするのがグーグルの目的だという。そうなれば素人でも専門家になりやいだろう。
文章を書くには何かを必ず参考にしているからである。
そして作家になるには物書きになるにはこれまでどうしても書斎がそれなりの本がないとなれない、一つの図書館をもっていないと何か引用したりすることができないからであるでも図書館にゆくのはめんどうだから家でできないと文章が書けないのである。
それで田舎でも情報や知識の点では格差がなくなった。
本でも古本でもアマゾンでボタンを押せば次の日には配達されるから便利である。
電子本だったら即座に読めるのである。
いづれにしろグローバル化による弊害もあり利点もある。
ただその矛盾が最近格差問題などで噴出した。医療というのもやはりグローバル化して問題が起きる、常にグローバル化とは金がある人は得して金のない人は損することが極端化してしまうのである。
それが象徴しているのがドバイの高級医療をほどこす病院だったのである。

タグ:医者
posted by 老鶯 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題
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