2016年07月10日

デモクラシーとは何であったのか? (デモスとは地域のことであり地域に根をもつ者の意味だった)



デモクラシーとは何であったのか?


(デモスとは地域のことであり地域に根をもつ者の意味だった)


参議院選挙で政党名を書くのと個人名を書くのはずいぶん違うと思った。
小選挙区制は政党名で決まる、比例区は特にそうである。
それで比例区で個人名を書いたのは政党名を書くのとは感覚的に相当に違うと思った
田中なおきというとき福島県の相馬市が親が出たところであり新潟県は田中真紀子が出たところであり田中首相の娘である。
そしてこの辺では原発事故で新潟の人に世話になったとみんな言っている。
新潟の人は親切だったとみんな言っている。
だから田中なおきと書いたとき、何か政党というよりそうした個人的なものその土地のつながりで入れたとなる。

民主主義のデモクラシーの語源は

 デモス(demos)というのは、長い歴史を持つ言葉です。それはもともと古代ギリシャのポリス(都市国家)に住む「部族」くらいの意味もっていました。紀元前六世紀末のクレイステネスの改革を通じて、血縁団体から地縁団体へと再編され、その結果「地域住民」を意味するように変化を遂げました。例えば、ギリシャ都市国家の中の代表的なポリスであるアテネでは、ポリスを十の地域にわけてそれぞれをデモスと称としたのですが、それがやがて「一般民衆」という意味を表すものへと変化したのです

 地域の利益に基づいていたのがデモクラシーの語源だった。
その地域に生活している人はやはりその地域で生きるのだから密着しているから当然そうなる
それは血縁よりも強い絆が生まれた。日本人の姓をたどると必ずその姓の村があり村の地域共同体が姓を作り出したのであり血縁ではなかったのである。
民主主義はデモスとデモスが地域と地域が争うのを投票で決着したとなる
そうでないと戦争になったし歴史では地域と地域と市同士が争って殺し合ってきたからである。

日本でもそうだが江戸時代は地域地域の封建制であり土地に根ざしてデモスに分かれていたのである。そのデモスを治めるために参勤交代が工夫された。
中央の幕府に帰属させたのである。
それでも地方の力はデモスは関が原の戦いの怨念などをひきづっていたのである。
薩摩藩も幕府に過酷な尾張の治水工事にたずわされた、毛利藩は長州は今の山口県の狭いところにおしこめられた。

長州は 減封で実収が10分の1になり 
あまりの財政難に当主・毛利輝元が藩の返上を訴えましたが 懲罰の意味もあるので却下され 藩財政と立て直すのに 相当の苦労をしてます

特に宝暦の治水工事(濃尾平野の河川工事・尾張藩だが御三家だったので天下普請として薩摩に命令した)では 
わざと何回も工事を やり直させたり、スパイにできた堤防を壊させ やり直させたりと ヒドイ妨害工作をしています
武士にあるまじき卑怯な手段に 幕府の役人が恥じて切腹(約二名)したほど 工事にあたった薩摩藩士を苛め抜きました

こういうことが幕府の恨みともなっていた。幕臣は薩摩長州のことを明治以降も今でもその子孫は恨んでいる。そういう生々しいものはいろいろなり理屈よりわかりやすいのである。だから最近明治維新を見直すことが堂々となされるようになったのである。
あんな若造らは志士とかいうけど狂気の沙汰だったとか堂々と言うようになったのであるそれもある程度は認められつつあるのも歴史である。あまりにも明治維新が美化されてきたからである。

要するにこれもデモス(地域)に生活していたものが恨みをもつということデモス(地域)同士が争うということは常にあったのである。
南相馬市でも補償金でもめたように利害で人は争うのである。
だから民主主義をたどればデモスの利害の調節からデモクラシーが生まれとなる。
ところがこのデモス(地域)が衰退したとき、コミニュティが衰退したとき会社中心になったとき人は会社に帰属するようになる
人は地域には所属していない、大手ゼネコンとか電気会社とかトヨタとか様々な会社に人は所属している、地域は農業とか漁業とか林業が主体だったけどそれも一割にも満たない生産力しかなくなった。
デモクラシーが発祥したのは地域のデモスとの利害調節をすることだった。
それが今は会社になりまた会社と対決しているようでも電事労連がやはり原発でも電気組合員を組織していて会社に所属しているから原発は賛成なのである。

デモスというときグローバルになればやはりデモスとデモスが国と国が争う、利害で衝突する。その利害調節ができないと戦争になるのである。
デモスが地域連合というものが衰退したとき、会社とか宗教団体とかが人々の所属するものとなり力をふるうようになったのである。
この世の中は何らかの団体に所属していないと生きにくい、それで必ず底辺層などは創価とか共産とかエホバだとか団体に所属している、会員となれば仲間だとなる、でも一方でそううい団体は会員でないものは何であれ排斥する傾向が強いのである。
会員にならないと罰あたるとか創価では呪うこともしていた。
他でも組織団体かすると会員にならないものは排斥する排他的なものとなる

明治以降はヨーロッパに追いつくために強力な中央集権体制を築いた。
そして太平洋戦争までそれは継続したものとしてあり敗戦で終わったのである。
デモクラシーというとき大衆主義であり何か根ざすアイディンティティがない、大衆とは何かと言えば群衆であり根のないものとして東京のようになる。
そして中央から地域はただ経済的効率が悪いから東京からは地方交付税を払わせられるだけだとか不満を言うのである。
地域とは狭隘なものでありそうした田舎者は相手にしにくい、それも言えることは確かである。田舎の人間は偏狭であり相手にできないともなる
それも言えるがそういうことではない、地方は故郷とかは会社とか何か分業で成り立つものではない、自然を含めた全体のことをトータルに生を追求している場なのである。

そういうアイディンティの場があってこそ人間の心はそこに養われ文化が華開くのである
それがドイツの文化にあった。ドイツは森の民でありゲルマンの強固な世界を作り出してきたのである。
中央集権化することは地域をデモスをかえりみなくなる、文化とはデモスから地域から起きてくる、一方で東京などはあれだけの人口があってもそこは文化の不毛地帯なのである情報でもマスメデア中心で中央中心になるのである。交通の発達によりますます一極集中になる。経済効率からみればその方がいいとなる。
でもそこでは文化は失われる、
デモスから会社になったときそこに社会を大きく歪めるものがあった。
会社は日本の大企業は多国籍企業となるし外国で安い労働力を求め後進国に進出するときもデモスは地域はないがしろにされるということもある。
多国籍企業は公害を作り出したりするしその土地の代々つづいたコミニュティ文化も破壊するのである。
現実この辺で起きたことは原発事故でそうした代々つづいた歴史と文化と自然が破壊されたことなのである。民主主義のデモスが地域に根ざしたものが破壊されたのである。
もう住めなくなったのだからデモスもなにもない、デモクラシーもななったということである。
posted by 老鶯 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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